21世紀のケインズ 第三章 流動性の罠は存在しない

小幡 績

流動性の罠というものは存在しない。

はじめから存在しない。

ケインズは、流動性の罠という言葉を一度も使っていない。


世間がいう流動性の罠とは何か。

多くの人が混乱している。

一般的な定義は、すなわち、ケインジアン的な教科書、あるいはケインズの本質を分かっていない人々の定義は、利子率が下限に達し、それ以上流動性を増やしても、人々はそれを貨幣で(流動性で)持ち続けてしまい、すべての金融緩和は貨幣保有量の増大となり、投資すなわち実体経済を刺激することはできない、というものである。

wikipediaの記述はなかなか面白い。引用してみよう。

定義においては、

「金融緩和により利子率が一定水準以下に低下した場合、投機的動機に基づく貨幣需要が無限大となり、通常の金融政策が効力を失うこと。」

と記述されている。まともだ。正確に言うなら、一般的だ。

しかし、その解説部分は、遥かに興味深い。

まず、

「景気後退に際して、金融緩和を行うと利子率が低下することで民間投資や消費が増加する。しかし、投資の利子率弾力性が低下すると金融緩和の効果が低下する。そのときに利子率を下げ続け、一定水準以下になると、流動性の罠が発生する。」

と書いてある。個々で興味深いのは、投資の利子弾力性とあるが、この投資とは何か、ということである。

続いて、

「利子率(名目金利)は0以下にならないため、この時点ではすでに通常の金融緩和は限界に達している。金利が著しく低いため、債券の代わりに貨幣で保有することのコストがゼロとなり、投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する。」

とある。今度は貨幣需要の話に置き換わっている。そして、投機的需要とある。この投機的需要とは何か。投機的需要は、ケインズ自身が使った言葉である。それはあくまで投機であり、実物資本投資の利子弾力性とは異なる。

そして、このような記述で一応締めくくられる。

「この過程においては、マネーサプライをいくら増やしてももはや利子率は引き下がらず、民間投資や消費を刺激することが出来なくなるため、将来への期待に対する働きかけを除いて通常の金融政策は効力を喪失する。反面、クラウディングアウトは発生せず、財政政策の有効性は高まる。」

この15年の日本の状況を意識した(しすぎた)記述であり、政策の有効性の話になっている。

そして、おまけのような注釈があって、説明は終わる。

「ただし、流動性の罠は超短期に限らず長期債などの資産が全て貨幣と代替になって初めて起きるのであり、政策金利がゼロ制約にあったとしても、長期債の買い入れなど金融政策にはまだ余地があることとなる。」

この筆者は、日銀を批判するため、あるいは米国FRBなどの量的緩和を期待して書いているのだろうが、筆者の意図を超えて、この記述は含蓄がある。

投資の利子弾力性とは、価格効果の話だ。そして、あくまで、古典派的な世界、市場における価格メカニズムが機能している世界の話である。あるいは、この価格メカニズムが機能しなくなった状態を罠と呼んでいるのである。

しかし、それは投資の利子弾力性がゼロになったことによるのか、それとも、利子が下限に達したことによるのか。混乱が見られる。

真実はどちらでもない。言い換えるならば、ケインズ理論の本質は、それらのどちらにもない。

この文脈で言えば、ケインズの本質は、投機的需要による貨幣需要が無限大となる、ということにこそあるのだ。

ケインズは相場師だ。

そして、ここは投機的需要の話であり、実物投資の話ではなく、債券投資の話である。wikipediaには、実はもう一文が挿入されており、そこだけがケインズ自身の議論が関わっている。

「ケインズの見識によれば「ジョンブル(イギリス人のこと)は大抵のことは我慢するが2分の利子率には我慢できない」ため、経験的に2%の利子率を下回るような債券は売れ行きが極端に悪くなり流動性の罠が発生する。これは投資家の貨幣に対する取引需要を名目金利が下回ってしまうためであり、2%という高すぎる債券価格(低すぎる利子率水準)のもとでは、人々は債券価格の下落(金利の上昇)を予想して貨幣で資産を保有するようになり、貨幣供給が増しても貨幣保有が増すだけで、資金は債券購入に回らず、市場利子率はそれ以上低下しようとはしなくなるためである(→流動性選好説)。」

そう。ケインズが言ったのは罠ではなく、流動性選好なのである。

そして、彼の主張の本質は、この文にあるとおり、貨幣の投機的需要なのである。

どんな相場師でも知っているように、下落局面での逆張りはナンセンスであって、買い戻すのは、下落が激しければ激しいほど、底を確認してからで十分間に合うのである。

その底の確認を待っている相場師達の状況。それこそが、あえて言うならば、ケインズが言う可能性のあった流動性の罠なのである。

そして、その底打ちを確認するための起爆剤が、穴を掘って埋める一見無駄な公共事業なのである。

ここに資本市場と財市場がつながり、金融市場と実物市場がつながり、投機と実需がつながり、そして、労働市場、雇用および失業の議論へつながっていくのである。