内田樹氏は1年あまり前に、原発で「いったん事故が起きた場合には、被曝での死傷者が大量発生し、国土の一部が半永久的に居住不能になる」と予言した。モラルハザードも比較優位も知らない彼が何を言っても驚かないが、過去の言論に責任を取らないで恥の上塗りをするのはやめたほうがいい。
内田氏はきのうの記事で、原発事故についてこう書いている。
かりにその国民たちの恐怖が「確率論的には無視できるほどのリスク」についての「杞憂」であったとしても、現に福島原発が「確率論的には無視できるほどのリスク」が現に起こりうるということを示してしまった以上、国民が「天文学的確率でしか起きないはずの事故」を恐れる感情を軽視することはできないはずである。
国民が恐怖を抱いていることは事実だろう。政府はそれを「軽視」していないから今まで再稼働が遅らせてきたのだが、内田氏はそれ以上、何をしろというのか。「確率論的には無視できるほどのリスク」をゼロにしろというのだろうか。それならリスクのはるかに大きい地震や津波対策のほうが優先だ。
・・・などといっても、彼には理解できないだろう。この記事に数字がまったく出てこないことでも明らかなように、彼はリスクを定量的に評価できないからだ。反原発派には、このようにリスクを情緒で語る人が多い。それは日常生活ではいいが、政治は家族や友人の問題ではない。1億人以上の生活のかかった問題を「感情を軽視することはできない」といった曖昧な根拠で決めることは許されない。
内田氏は「目の前のリスクを長期的なリスクよりも優先するのは間違いで、政府は長期的リスクを考えるべきだ」という。しかし福島第一原発事故では1人の健康被害も出ていないし、長期的にも出ないと予想されている。彼は知らないだろうが、EU委員会の調査によれば、長期的リスクがもっとも低いエネルギー源は原子力なのだ。
もう反原発派の「放射能デマ」もすべて反証され、論拠はこういうあやふやな感情論しかないようだ。内田氏が感情を語るのはいい。彼は原子力の専門家ではないのだから、無知なのもしょうがない。しかし知らないことについてもっともらしく語ることはやめるのが「知識人」の慎みというものだろう。