どちらが悪質な危機管理か? 菅前首相と隠蔽体質

北村 隆司

「国会の東電福島原発事故調査委員会が5月28日に行った菅直人前首相の参考人聴取は、大方の予想通り、菅氏の大弁明演説会となった。菅氏は自身の言動や判断が事故対応の混乱や遅れを招いたことへの自覚も反省も示さず、ひたすら責任転嫁を続けていた。

「よくもまあ、日本国民もこんなばかな首相をいただいたものだ。私の知る限り、歴史上最低の首相じゃないですか」これは原子炉復水器の専門家として、昨年3月11日の事故発生直後から首相官邸に助言・提案を行っていた上原春男・元佐賀大学長の参考人聴取を見ての感想だ。

これは、「危機に最も不適格な菅前首相」と題した6月3日の産経電子版の囲み記事の冒頭の一節だが、国民感情を上手く代弁した記事である。


国会事故調の論点整理で、官邸の「過剰介入」が指摘された事もあり、マスコミは菅前首相の責任追及に忙しいが、果たしてそれで良いのであろうか?

その菅前首相は「事故発生時に原子力安全・保安院や東電から情報が上がって来ず、最悪の場合は、国家の機能が崩壊しかねないなど、手の打ちようがない怖さを感じた」と事故を振り返り、自分の取った処理は正しいと言う主張を曲げなかった。

私には「官邸が介入せざるを得ない程、日本の危機管理組織が機能しなかった」と言う菅前首相の言い分は正しいと思う。

悲劇的なのは、上原元学長が「よくもまあ、日本国民もこんなばかな首相をいただいたものだ」と嘆いた程、質が低い首相であった事に菅前首相自身が気が着いていない事だ。

隠蔽体質で受ける国民の被害は甚大である。例えば、福島原発事故の発生直後、高い放射線量の地域が広がっていたデータを、米国から外務省を通じて文部科学省や経済産業省原子力安全・保安院に提供されていたが、公表も官邸への報告もされず、住民避難は4月まで決められなかった事実や、内閣府原子力委員会が原発推進側だけを集めて開いた秘密会議で、高速増殖炉(FBR)推進に不利なシナリオを隠すことを決めていたことが今になって分かったと言う。これでは全体主義国家と変わらない。

こう見て来ると、介入の馬鹿さ加減は別として「今回のような、東電も保安院も想定していなかったシビアアクシデント(過酷事故)が起きた状況においては、官邸として、そうせざるを得なかったのが現実であった。」と言う菅前首相の言い分も尤もである。

ましてや「電源車の搬送への協力要請や、住民避難を必要とするベントの了解や、自衛隊、消防、警察などの出動」と言った些細な事も官邸からの指示が無いと動かない日本の縦割り行政には、マスコミも国民ももっと怒るべきである。

政府の最高責任者である首相が判断を誤れば、国民に多大な犠牲と負担を強いる事は当然だが、判断ミスの防止には有能な首相を選べる体制の整備と、最高責任者に必要な情報が正しく早く伝達される統治形態が絶対条件である。

巨大組織の隠蔽体質は日本の専売特許ではなく、米国の原子力規制委員会にも同様の問題はあるが、大半は個人的な物で、組織的な隠蔽は例外に近い。

軍事用を除いても日本の2倍の原子力発電施設を持つ米国では、事故経験も多い。然し、米国の原子力規制当局は過去の事故に学び、1975年以来、定期的に危機管理の改善策を発表して来たが、その内容は具体的で本質的な問題を指摘しているのが日本の規制当局との違いである。

又、米国NRC(原子力規制委員会)の行動は素早い。福島原発事故の発生を受けた昨年7月には連邦タスクフォースが新たな12項目の安全基準を示唆し、10月には全職員に対してこの安全基準を即時実行する様に命ずる手際の良さである。

米国の原子力産業は他の産業とは異なり「悪質なコンプライアンス違反」は刑法で処罰される事になっており、内部告発も積極的に後押ししている事も日本と異なる点である。

米国原子力規制委員会の取った具体的な施策に比べると、今年の6月9日に発表された国会事故調のまとめた論点は「対症療法」的な6項目を取り上げて委員の意見を羅列しただけで「 引き続き、事故原因の検証及び事故防止対策の検討に加え、政策・制度の枠組みの問題、国会による行政の監視に関する機能の問題など、事故原因の本質及び背景を含めた各問題点の検証を行い、委員会法上の責務を果たしていく。」等とのんびりした事を言っているに過ぎず、誠にお粗末としか言い様がない。

一度、米国原子力委員会の軌跡を調べて参考にする位の努力はして欲しいものである。

昨年の東日本大震災では多くの事を学んだが、日本の統治機構と緊急事態にあたっても平時の対応をし続ける官僚体質は、日本を破滅に導くもので、この際、橋下市長の主張通り「現在の統治機構を破壊する」事が喫緊の課題であることも教えて呉れた。

北村 隆司