■医者とは医師免許を持つ者
医学部を卒業し医師国家試験に合格すると、医師免許という国家資格が与えられ、晴れて一人前の医師となる。
一般国民はこの理解に疑念を持たないだろう。だが、ベテランの臨床医師や医師養成の教育者から見たら、どうだろうか? 「一人前の医師」という言葉にひっかかるのではないだろうか。
一般国民は、良い医者なのかヤブ医者なのかという点には関心があるとしても、医師免許を持つ医師であれば、「一人前の医師」と見なす。これはどんなことを意味しているのだろうか。
■象徴的な医者のイメージ
あるとき、医学部教育と初期臨床研修制度について議論している際に、医師ではない若手研究員がこんなことを言った。「飛行機、長距離バス、新幹線などの中で急病人が出たとき、医師なら即座に正しく初期診断をし、可能な初期処置を行って、適切な対応策を明確に伝えられなければおかしいでしょう。」
このとき、いろいろな医療関係の識者から話をうかがっていた私は、「一般的に医師免許取りたての新人医師にそれを求めるのは無理だよ。」と思わず言ってしまった。もちろん、その若手研究員は反論した。「そんなこともできないのに、医師免許を与えるなんて、おかしいですよ。」
たしかに、ここで問題にしているのは、専門高度な外科手術のような話ではない。初期診断・可能な初期処置、直後の明確な対応策指示の話である。考え直してみれば、医師免許を取得している専門職業人に、それができないというのはおかしな話だなと、私も思った。
一般国民が医師に期待していること、あるいは、暗黙に医師に想定していることは、専門診療科を問わず、適切な初期診断・初期処置を下せることではないか。
一般国民が描く典型的な医師像は、「この中にお医者様はいらっしゃいませんか?」との飛行機の乗務員の問いかけに颯爽と手を上げ、手早く適切な初期対応を施す医師のイメージなのである。
■キャリア10年で一人前の医師
他方、医師を養成する側から見ると、事態は複雑である。確かに、医師免許を取得する以上、初期診断・医学的な初期対応を一通りできるようになっていなければならないという理念的な意識はある。しかし、一般的な新人医師にその能力があるとはとても言えないのが現実のようだ。
その一つの理由は、医学部における臨床実習の期間が不十分なことである。医師免許取得のためには医師国家試験に合格しなければならないが、いわゆるペーパー試験対策に追われて、臨床実習期間を十分に長く取る余裕がない大学が少なくないという。
また、医学部生は言うまでもなく医師ではないのだが、昨今の医療訴訟などの背景もあって、臨床実習を「参加型」にするのは難しく、「見学型」になってしまっているという。この点も教育現場としては不満の種のようである。
一方で、ひとくちに「適切な鑑別診断・初期処置」と言っても、想定するレベルにはかなりの幅があり、ベテラン臨床医師や教育者から見て「一人前」と呼べるレベルになるには、医師免許取得後10年前後の経験が必要だという。
この点では、逆に国民の側が、ベテラン医師と勉強中の若手医師を区別する認識を持つべきだろう。すなわち、病気になったらとりあえず大学病院や国公立や公的の大病院に行けばよいとうワケではない。そのような大病院は若手医師の教育機能も担っているケースが多く、実際に出てくるのは「適切な鑑別診断・初期処置」を下すにはまだ経験不足の若手医師かもしれない。他方、地域の診療所や中小民間病院に居るベテラン医師の外来へ行った方が、適切なプライマリ・ケアを受けられる可能性が高い。もし、入院治療や手術等の専門的な治療が必要な場合は、彼らが適切な医師を紹介してくれるにちがいない。国民の側がこうした認識を持てば、一部の大病院に患者が殺到するという社会的に非効率な状況を回避できるだろう。
■初期研修の役割?
さて、いわゆる医師の初期臨床研修では、プライマリ・ケア能力の涵養が目的に掲げられ、幅広い診療科の知識・技能を身に付けた医師を養成しようとしている。しかし、必ずしも具体的な目的は明確ではない。
ならば、より明確に「初期診断・初期処置能力の獲得を目的」に掲げ、一定レベルの能力獲得を担保する研修制度にしてはどうだろうか。もちろん、どのようなレベルを想定するかについては、さらなる議論が必要である。
一般国民の目線からは、初期研修前でも、医師はまぎれもない「医師」であり、確かな初期診断・初期処置能力を期待されている。だとすれば、遅くとも初期研修の修了後には例外なくこの国民の期待に応えることができるよう、医師の臨床研修制度を再設計すべきはないだろうか。
森 宏一郎(滋賀大学国際センター 准教授)
編集部より:この記事は「先見創意の会」2012年6月26日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。
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