親からすれば自分の背中を見て育った子供にはどこかの時点で「よろしく頼む」とリレーのバトンを渡したいところですが、ゴール間近でバトンを渡そうにもそこに自分の子供は立っていなかったとか親の努力はむなしく子は親の期待とは違っていたということも大いにあるでしょう。
昨年、大王製紙創業家のご子息の派手な振る舞いが話題になりました。遂に創業家は大王製紙の株式を売却することになるようです。ご子息のお父様は吼えまくっていましたが、先々の不安は隠しきれないのではないでしょうか?
私は商店街にある商人の家に育ったものの家業を継ぐことは選択肢の中でもっとも劣後していました。事実、サラリーマンの道を歩み始めたとき、父親は「それが正解」と背中を押しました。理由は「商店街の時代は終わった」。実際に近所の商店のご子息の8割方はサラリーマンとなり実家のある商店の辺りでご子息達を見かけることはほとんどありません。きっとマンションにでもお住まいなのでしょう。一方、商店を継いだご子息さんたちを今見かける限り正直、あまり芳しい経営状況にあるとは思えません。
ではサラリーマンの子息。時代背景がやや違うかもしれませんが、20年前には悪餓鬼が多かったというのが印象です。寿司屋のカウンターで大人顔負けの珍味ネタを食べる自分の子供を自慢する父親、社宅で新車を見かけたらそのそばで子供にボール遊びをさせる母親の話、更にはやはり社宅で廊下の電気を家に引き込んで電気代を浮かしていた子供の話などなど。親の教育はなっていなかったと思います。
高度成長期に稼ぎまくった親を持つ子供たちはいまや40代前後の中堅どころとなってきています。その子供達は遊ぶこと、お金を使うことに関しては実に長けている気がします。自分達の稼ぎでは実現できないような高級レストランや海外旅行、ブランド物の消費はバブル時代に使うことを覚えた40代半ばから上の世代に多いとされます。まさに大王製紙の元社長さんもそうでした。が、いざ自分で稼ぐことになるとどうでしょうか?
むしろ、親が成功していればいるほど子は親のレールから外れていく傾向が強いような気がします。それは時代の変化に伴い親のように汗をかきたくない気持ちの表れかもしれません。一生懸命働くことを美徳とせず、西欧のように要領よく仕事と家庭、趣味の両立を目指しています。もちろん、働きすぎの日本人にとって余暇の使い方が上手になることは極めて重要でこれ自体は推奨されることです。
しかし、稼ぐからこそ贅沢が出来る、あるいは苦労したお金のありがたみは知るべきでしょう。
日本に太陽はまた昇るのか、という経済の話があります。昇るとすればそれは労働のありがたみを日本人が共有するときだと思います。今はまだ中途半端な富裕状態にあります。今の中堅どころが年老いたとき、その次の世代が「日本が世界第二の経済大国だったこともあるそうだ」という昔話を子供に話し、もう一度頑張りたいと思うときまで待たねばならないのでしょうか?
日本の年齢別の社会、文化、経済的分布を作ればこれほどドラスティックに価値観が変わっている国民も案外少ないかもしれません。少なくとも言えることは今は親の財布をあてにしている子が日本の消費を助けているのかもしれません。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年6月26日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。