デフレ脱却優先論の論理的陥穽

池尾 和人

池田さんがツィートしていたので、馬淵澄夫・衆議院議員の「デフレ脱却こそ景気回復の大前提。量的緩和による金利上昇リスクばかりを強調する日銀に異議あり」という記事を読んでみた。正直に言って、論理がつながっていない(少なくとも説明不足の)ところが散見された。ただし、世間的に流布している「デフレ脱却優先論」は、このレベルのものが大半だと懸念されるので、論理の不足がどこにあるのかを改めて指摘しておくことにも多少の意義があろう。


デフレとは「持続的な物価下落」を指すというのが公式の用法のはずであるが、日常的には「経済の低迷した状況」を総称するものとして使われている。前者の意味を「狭義のデフレ」、後者の意味を「広義のデフレ」と呼ぶことにしよう。これら2つの意味の入れ替えによって、しばしば誤った論理の展開がもっとらしく見せかけられているので、両者の区別には自覚的でなければならない。

馬淵氏の記事では、最初の方に「デフレ脱却のための更なるインフレ目標の設定や量的緩和などによるマネタリーベース拡大という金融政策を取ってインフレに転じたとき」という記述がある。ここでのデフレは、「狭義のデフレ」=持続的な物価下落の意味であろう。しかしそうだとして、インフレ目標の設定や量的緩和などによるマネタリーベース拡大を行うとどうしてインフレになるのかについては、是非、そのトランスミッション・メカニズムを(馬淵氏以外の方でも結構なので)教示してもらいたい。

たぶん貨幣数量説的な考え方が常識としてあるのだろうが、ゼロ金利下でそうした常識が無条件に成り立つわけではない(この点に関連しては、この記事がきわめて有益である)。ゼロ金利下の世界は、いわばアリスの迷い込んだ「不思議の国」である。したがって、金利が正の世界では常識であることについても、ゼロ金利下でも同様に成り立つというためには、その理由を説明する必要がある。これが、「論理の不足」を感じる1点目である。

因みに、先月26日に日本銀行の当座預金残高は過去最高水準を更新している。もちろん日銀券の発行残高も過去最高水準なので、マネタリーベースも過去最高水準に増加している。足下の名目GDPの大きさは20年間とほぼ同じだけれども、ベースマネー残高は20年前と比べて3倍以上に増加している。この事実は、貨幣数量説的な考え方とどのように調和させられるのであろうか。流通速度が3分の1以下に低下したということで、もちろん定義式としての貨幣数量方程式は成り立っているけれども、貨幣 –> 物価という因果関係がどうして成立するといえるのか。乞う、説明である。

次に、馬淵氏の記事では、「デフレ脱却による株価の上昇や設備投資の活発化、企業収益の改善、円安などを考えると」という記述がされている。ここでのデフレは、狭義・広義のいずれの意味で使われているのだろうか。広義に「経済の低迷した状況」を総称する意味でなら、この文章はほとんど同義反復だといえる。しかし、そうだとすると、デフレという言葉の意味が、途中ですり替えられていることになる。「持続的な物価下落」ということなら、物価の安定を使命とする中央銀行に第一義的な責任があるという言い草も成り立ち得るだろうが、「経済の低迷した状況」ということなら、第一義的な責任は政府・与党にこそある。

他方、かりに上記引用文におけるデフレの意味が狭義のそれだとすると、どうしてインフレになると「株価の上昇や設備投資の活発化、企業収益の改善、円安など」がもたらされるのかについてのトランスミッション・メカニズムを説明してもらいたい。ここでも、たぶん狭義のデフレが広義のデフレの原因になっているというような理解があるのだろうが、そうした理解が正しいという論拠をちゃんと説明したものを寡聞にして知らない(あるなら、教えて下さい)。これが、「論理の不足」を感じる2点目である。

私は、そうした理解は原因と症状の取り違えに過ぎないと思っているので、ロジックとデータに基づく反論を是非いただきたい。金利上昇にも(財政リスクの上昇等を嫌気した)悪い金利上昇と(景気拡大に伴う)良い金利上昇が考えられる。良い金利上昇の場合には、馬淵氏の記事の本旨である銀行が受けるダメージが必ずしも大きいとは限らないという主張は正しいと思う。しかし、財政ファイナンスのような手段でインフレをもたらしたときに生じる金利上昇は、悪い方のそれであろう。

デフレ脱却優先論の背後には、「貨幣量の増大 — (1) –> 物価の上昇 — (2) –> 景気の回復」といった推論があると思われるが、(1)のメカニズムも、(2)のメカニズムも、われわれが暮らしている「不思議の国」では当然視されてよいものではない。その主張者は、理詰めでトランスミッション・メカニズムの説明を行う義務がある。

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池尾 和人@kazikeo