これはわかりやすい対立だ。一方には小沢氏からみんなの党に至る心情倫理の政治家が結集し、他方には民主・自民の大連立で責任倫理の党ができれば、意味のある選択肢ができる。ウェーバーは『職業としての政治』でこう述べた。
人が心情倫理の準則のもとで行動する――宗教的にいえば「キリスト者は正しきを行ない、結果を神にゆだねる」――か、それとも人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする責任倫理の準則に従って行動するかは、底知れぬほど深い対立である。
政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性に関係をもった者は悪魔と契約を結ぶ者であること、さらには善から善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること、これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である。(強調は原文)
表現がいささか文学的だが、散文的にいうと、政治は暴力という手段をもちいる以上、その手段の正当性は主張できない。税とは国家が国民の財産を(合法的に)奪うことに他ならないのだから、増税に反対することもマニフェストを守れと主張することも、倫理的には正しい。
しかし政治の価値を決めるのは、その手段の正当性ではない。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」軍事力を放棄した結果、他国に侵略された場合には、国家はその結果に責任を問われるのだ。だから永遠に責任を問われない社民党などが心情倫理を主張することは合理的である。小沢氏は自分が永遠に権力の座にはつけないことを知って、その目的にふさわしい戦術を選んだのだろう。
この「万年野党連合」の問題点は、衆議院で83人の絶対少数だということである。しかし小沢氏が信じている(と周辺に思わせている)ように反増税と反原発が国民の過半数だとすれば、合流してすべての小選挙区に候補者を立てれば、政権を取ることも(論理的には)可能だ。ぜひ最後の剛腕を発揮して「心情倫理党」を結成してほしい。そうなれば、近来まれに見るおもしろい選挙になるだろう。