「策士」今昔 ─ 小沢一郎と三木武吉の違いは「時代」か「人物」か?

北村 隆司

田原総一郎氏が小沢氏を評して「腕力があり、権謀術数をめぐらすことに長けているが、考えに一貫性がなく、政策に関心がない。又、許容力が小さく、猜疑心が強いため、仲間を子分にはするが、パートナーにはしない」と言う主旨のブログを書くと「よほどのバカか!」「ジャーナリストの名が聞いてあきれる!」と言う罵詈雑言が、小沢ファンから浴びせられる。

機知(ウィット)に富んだヤジは、緊張気味の場面を和(なご)ませるが、ネット上の野次である匿名の書き込みの場合でも、度を越した下品なものは、不快感が先にたつ。

権謀術数を駆使した「政界の策士」と言えば、昔の三木武吉、現代の小沢一郎の名が浮かぶ。


三木は「策士」「智恵者」として一世を風靡したが、今やその名を知る人も少ない。そこで、ウイキペデイアや他の人々が書いたエピソードを繋ぎ合わせ(コピペ)して、三木武吉の横顔を振り返り、小沢氏と比較してみたい。

中でも江藤征四郎氏のブログは、大変参考になった。心から感謝したい。尚、本稿は、大分長くなるので、読み飽きたらいつでも放り出して頂いて結構である。

1884年生まれの武吉は、旧制中学時代に乱闘事件を起こし放校されたが、その後、早稲田大学に進学。卒業後は日本銀行に入行し、門司支店に配属となるが、政府弾劾演説会に飛び入り演説をして、服務規定違反を問われ免職となった。直ぐに、高等文官試験司法科(現在の司法試験)に挑戦し合格。裁判所司法官補に任じられるが、7ヶ月後には宮仕えは性格にあわずとして退官、弁護士に転進した。

何事も自力で人生を切り開いた武吉に比べると、何度も司法試験に失敗してから、親の地盤を引き継いで政治家となった小沢氏とは、その履歴や手法は大分異なる。

ここに、小沢氏のイメージとは対照的な、三木のエピソードを幾つか上げてみたい。 : 

議会の“騒音“を“華”に変えた三木

若槻内閣の蔵相を務めた片岡直温(なおはる)が本会議の演説で、結核を「ケツガイ病」と繰り返した。すかさず三木が「それはケッカクと言うんだ」とヤジ。片岡はむきになって「ケツガイとも読む」と反論すると、三木は即座に応じた。
「あたかも汝(なんじ)の名をジキヌルと言うがごとし」と追い打ち。片岡は「うっ…」と詰まって立往生したという。

「機知」と「タイミング」は騒音を華に変える特効薬である。

昨今の「馬鹿!」「黙れ!」の騒音に近い野次に比べると、三木のヤジにはユーモアと知性があった。三木の宿敵吉田茂の孫で、漢字の誤読で有名な麻生元首相の発言した議会に、武吉がいたら? とちょっと残念な気もする。

相手の逆手を取る余裕  

総選挙の演説会で、相手候補が「名前は言わないが、某候補は家賃を2年分も払っていない。米屋にも、1年以上ためている。このような男が、国家の選良として、国政を議することができるでありましょうか」と三木を批判すると、三木は「某候補が、借金がありながら立候補しているのはけしからんと、攻撃しているそうだが、その某候補とは、かく言う三木武吉であります。三木は貧乏ですから、借金があります。米屋といわれたが、それは山吹町の山下米屋であります。1年以上借金をためているといわれたがそれは間違いで、じつは2年以上もたまっております。家賃も、正確にいいますれば、3年以上も支払いを待ってもらっておるわけです。間違いはここに正しておきます」と反論し、会場は拍手と爆笑に包まれ、「えらいぞ、借金王」と野次が飛んだ。

その会場には、三木の大家や借金先の山下米店の主人山下辰次郎も来ており、その後、三木に促された山下が「私は米屋の山下です。どうか皆さん、三木先生をご支援願います」と述べ、すっかり参った相手候補はそれ以来三木の借金の話をしなくなったと言う。

野次の最高傑作   

三木の野次は、タイミングの良さ、知識の豊富さ、そしてその機知では、他の追随を許さず、やじられた方も感心する位であった。特に名声を博したのが名ヤジとして今に語り継がれている「だるま発言」だ。

原敬内閣が海軍拡張に乗り出したときの予算説明で、その風貌から「だるま蔵相」の異名を持つ高橋是清(のち首相)が「この計画のため陸海軍はともに難きを忍んで長期の計画とし、陸軍は10年、海軍は8年」と言ったとたん、議場から「だるまは9年!」と三木のヤジが飛んだ。

議場は一瞬息をのみ、蔵相演説は中断したが、次の瞬間、議場も傍聴席も大爆笑となった。高橋蔵相も吹き出しながら原首相を振り返り、2人とも大笑い。「面壁9年」の達磨(だるま)大師の故事を8年計画にひっかけた風刺で、“野次将軍”の異名をとった三木のヤジのなかでも最高傑作といわれたものだ。

高い見識

三木は「策士」ではあったが、相手を感服させる「見識」の高い人物でもあった。

「シベリア出兵は内政干渉であり、陸軍の武力的野心がある」と考えた三木は、この責任を追及しようと出来上がった原稿を、加藤高明憲政会総裁に提出した。加藤は「逐一感心した」と褒めた上で、「三木の調査内容は正しいが、これに基づいて、質問や弾劾をすれば、諸外国の日本に対する疑念を認めることになり、日本は国際的信用を失う。外国の政治家でも、一流といわれた人々は、国家的問題については党派を超えていくものだ」と付け加えた。

これによって三木は、「たとえ相手を倒すべき絶好の材料を盛っていようとも、それが国家の尊厳を害し、対外的に重大な影響を与える場合、これを軽々に取り上げて批判、論難を加えてはならない」との考えを持つに至り質問を取りやめた。これを知った加藤や浜口は「三木という人間はなかなかのものだ」と痛く感心したと言う。

「ハッタリ」と落とし穴

本会議で、憲政会提出の普通選挙法案を採決しようというときに、三木が分厚い書類を抱え遅れて出席し「緊急動議を提出します」と叫んだ。議長が三木を指名すると「この神聖であるべき議場の、しかも議長席に、傲然と着席しているのは何者か。そのような者が着席している間は、審議を進めるわけにはまいらない。ただちに散会すべきである。」と言った

時の議長大岡が「三木君には、この大岡が何に見えるのか! 気が狂ったのではないか!」と反論したが、三木は「議長であるというならば、当然、議員である。しかるに君は、議員徽章を佩用していない。それなくして、議場では議員と認めがたい。議員にあらざる議長など、認めることはできない」と応酬、大岡は「徽章は議員であるというしるしで、別に佩用せんともよい」とせせら笑ったが、「議場入場のさいは、徽章を佩用すべしと議員規則にある。したがって佩用せざるものは、議長ではありえないのだ」と述べ、さらに、抱えていた分厚い書類を開いて高く差し上げ、「これは先例集だ。本会議場において、徽章を佩用せざるものは、議員と認めずという先例がある」と詰め寄った。

大岡は顔面蒼白になり、「先例があるなら、やむをえん…」と本会議を流会にした。なお、実際にはそのような先例はなく、これは相手に二の句を継がせない、三木のハッタリであった。

自分個人の為には使わない権謀術数

三木は、鳩山一郎元首相(由紀夫氏の祖父)の盟友で、自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者であった。

鳩山一郎が脳溢血で倒れ、新党結成が頓挫すると、三木は自由党内での反吉田闘争に路線を変更し、「寝業師」としてあらん限りの智謀を傾け反吉田闘争の先頭に立つ。

これに対して吉田は、松野鶴平(鳩山由紀夫氏の側近の松野頼久の祖父)の助言で、抜き打ち解散を実施して鳩山派を揺さぶり、反党的言動を理由に石橋湛山、河野一郎の両名を自由党から除名した。

総選挙の結果、鳩山派は「民主化同盟」(民同)を結成して党内野党になり、池田勇人通商産業大臣の不信任決議に欠席し、不信任案を可決させた。

そして、補正予算案通過後に圧力をかけ、石橋、河野の自由党除名を取り消させると同時に、吉田が後継者として緒方竹虎を念頭に置いていると吹き込み、側近の広川を吉田側から離反させ、吉田体制の攪乱に成功した。

さらに、「広川幹事長・三木総務会長」との人事案を吉田陣営に提示し、「吉田が飲めば広川幹事長を通じて党を動かせる」「吉田が飲まなければ広川は吉田を恨み鳩山陣営に近づく」という王手飛車取りの策をみせた。結局広川幹事長は実現せず、広川の吉田からの離反は決定的となった。

続けて、野党に内閣不信任決議案を提出させ、吉田首相の辞職を迫ったが、拒否されると、鳩山民同22名は自由党を脱党。内閣不信任決議案に賛成投票をして吉田内閣不信任決議案を可決し、吉田は直ちに衆議院を解散した。

選挙の結果は、自由党が議席を大幅に減らしたが、依然第一党の地位を確保し、鳩山派の多くは自由党に復党したが、三木、河野一郎をはじめとする8人だけは復党を拒絶し、日本自由党を結成した。このメンバーのことを「七人の侍」をもじって8人の侍という。

三木は大物ではあったが、大正・昭和以降の保守系の大物政治家としては非常に珍しいことに、閣僚経験が全くない。要するに、彼の権謀術数は自分個人の為と言うより、主役になるべき政治家の為に使われ、自分は「陰」に徹した事も小沢氏との違いだ。

稀代の策士三木武吉は、鳩山を首相にする為には、社会党とも裏工作をするなど、あらゆる政敵とも裏取引をやる。煽てもやるし恫喝もやる。自由党をも分裂させるまでのすざまじい執念は、鳩山内閣を実現し、いわゆる55年体制を作った原動力であった。

小沢氏はこれまで、新生党、新進党、自由党と新党を結成し、今回ともなれば4回目となる。三木に比べて、ことのほか特徴的なのは、取り巻きは若手議員ばかりで、かつての側近だった二階俊博元経産相、藤井裕久元財務相、熊谷弘元官房長官らは、小沢氏と袂を分かってしまった。

又、小沢氏は自分の信じるリーダー像を「自分の目指すものを明確に掲げ、自分で決断し、自分の責任において実行できる人物である」だと語っているが、「自分」「自分」と繰り返す事は、包容力の小さな勝手放題のリーダーになりかねない危うさを持っている。

それにしても、「消費税」を巡る今の政界の混乱は、55年体制が生まれた半世紀以上も前の政界騒動と何ら変わらず、誠に情けない。

小沢一郎が引き起こす騒動は、どれもこれも三木の策謀の猿真似だが、騒動は起こしても初心を全うできない処が三木と違う。その理由は、「知力」「魅力」「度量」の不足に有りそうだ。

時代も違うし、今更、小沢氏に武吉になれと言っても無理だが、小沢氏が自分に不利な事も隠さずに、余裕を持って相手の逆手をとる機知と度量があれば、優れた仲間も集まり、もう少し国民に親しまれたのでは? と思うが、如何だろうか?