7月4日の日経に「ルネサス、最後の挑戦」という記事があります。ルネサスとはNEC、日立、三菱電機などを元とした半導体会社で2010年に設立されたばかりの会社であります。当時から新興国の激しい追い上げで電機メーカーがそれぞれに半導体を扱っていては生き残れないということで日本を代表する3社が一緒になってルネサスを作り上げました。ところが、業績は不振が続き、工場閉鎖やリストラを含む大幅な経営改善計画を打ち出し、記事の見出しにあるように「最後の挑戦」に望むことになりそうです。
ご承知の通りエルピーダメモリが今年2月に会社更生法適用を申請しており、「ルネサス、お前もか?」と思わせるこの状況に業界に関係ない人でも戦々恐々としているのではないでしょうか?
一方、自動車業界もトヨタ、日産が国内生産ラインを減少し、海外にシフトするなどいわゆる製造業の海外流出の勢いは留まるところを知りません。
では日本の製造業はいよいよ瀬戸際に追いやられてきたと見るべきでしょうか?
例えば日産のゴーン社長は日本を頭脳集積の地とし、日本での一定数の生産台数は確保するものの成長部分は全て海外に依存する方針です。ゴーン社長の意図は日産の最も重要な部分は日本に留め、且、一定の生産活動をすることでその存在感を維持し、職人技が必要な高水準の技術は栃木工場などに集中させます。
その上で日産が培った過去から現在までの商品開発ノウハウ、販売能力は地球儀レベルの国の成長に応じてブランド名もダットサンから日産、インフィニティとランク付けをし、国の所得水準、消費性向に合わせた商品をローカル市場にあわせて作り上げるという趣旨だと理解しています。
この流れはもはや止めようがないとすれば、その原因は何処にあるのでしょうか?表面的には円高を理由にするのが簡単です。何故ならこれは比較的バッシングしにくいアイテムであるからです。
が、私はそれ以前に日本でもはや製造業がワークしなくなりつつあるファンダメンタルな原因が表面化しつつあるのではないかと思います。
一つは国民の生活水準が世界のそれと比べ圧倒的に高いこと。その上、バブル経済を通じて非常に高いレベルの生活経験を持ってしまったことで国民が現在の生活の「期待水準」を下げにくくなっていること。結果として日本は所得の減少が進んでいるにもかかわらず以前と同等かそれ以上の非常に高いレベルの品質、サービスを要求し結果として世界でもっとも「目の肥えた」=「うるさい」消費者となっています。
これは半導体やメモリーを含む素材産業のように余計なものを全てそぎ落とし、商品の品質とコスト見合いという究極のスリムビジネスには非常に高いハードルがある気がいたします。本来であれば、ルネサスでもエルピーダでも日産自動車の考え方と同様、頭脳を日本に製造拠点を海外に持って行けば生き残れたような気がいたします。
例えばシャープの筆頭株主の台湾、鴻海精密工業はその主力工場をほとんど中国本土に持っていますが、それもある意味、本社機能と製造拠点の分離化の良い例だと思います。
更に日産自動車は高級車のラインであるインフィニティについてはその本社を香港に移してしまいました。これはもはや、日本に留まるより香港の方がデザインや販売においてより強力に推し進められるという判断かと思います。実にドライな経営だと思います。結果としてゴーン流はいまや日本産業全体に影響を与えていると思います。
今日の結論です。日本の失われた20年の間に経済的バックグランドに基づく国民の生活観は世界最上位ランクから大きくスリップし実に中途半端な位置づけになりつつあるのに実態とマインドに乖離があるような気がいたします。経済成長が長期にわたって緩慢な状態で過ごしてしまったこのツケは決して円高だけではなく、税制、政治、社会を含む意識や感覚の複合的ギャップによるところが大きいのではないかと思います。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年7月6日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。