18~19世紀に起きた剣道のイノベーション

新 清士

新装版 北斗の人(上) (講談社文庫)
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司馬遼太郎の『北斗の人』を読んでいて、18~19世紀の「剣道」に大きなイノベーションがあったのだなあと、感心した。

この小説は、幕末に大きな影響を持つことになる千葉道場の北辰一刀流を打ち立てた千葉周作(1793~1856年)の伝記だ。千葉が開いた玄武館は幕末についての小説を読むとよくでてくる。江戸に出てきた幕末の有名人(清川八郎、高杉晋作、桂小五郎、坂本龍馬等々)は大抵ここで学んでおり、幕末期には3000人もの弟子を抱えるまでの隆盛を誇っていた。その千葉がどうやって、新しい剣道を生み出していったのかというのが、物語の中にいろいろと言及されている。

「竹刀」と「防具」は18世紀のイノベーション


青年時代の千葉が江戸に学んだ時代に、「竹刀」と面・小手・胴といった「防具」を使った訓練法が登場したばかりで、最新の訓練法であることが説明されていた。それまで、木刀を通じてでしか学ぶことができなかった剣道は、直接的に打ち合うと、身体をこわす危険性があるため、「型」を覚えることによって習得するという方法しかとれなかった。しかし、それでは実際に打ち合う機会が少ないために、上達に時間がかかった。

ところが、竹刀と防具を使って訓練では、安全性がはるかに高いため、直接打ち合う訓練が可能になる。そのため、飛躍的に剣道の習得が早くなったというのだ。それまでの木刀を使った古法では5年掛かっていた習得が、新法では3年で習得できると言われるようになった。当時の松戸で有名だった道場で力を付けた千葉はやがて、苦労しながら江戸の道場に学ぶ。しかし、その過程で、今までの教え方に疑問を抱くようになる。

剣道の技には、妙剣、絶妙剣、独妙剣、竜尾返し、舞睦(まいむつみ)などなど、奇妙な技の名前が多いという。千葉が、免許皆伝を得た際に、「金じち鳥王剣」という秘剣が書かれた秘伝書が渡されたが、中身は普段の技の一つに過ぎず、「失望した」と書かれていた。むしろ、大して内容のないものを、大仰な名前をつけなければならないことに「愉快ではない」と感じていたと表現されている。

イノベーションを利用して千葉周作が生み出した新しい剣道

千葉は、相撲の四十八手を参考にしながら、剣道の技を分解し、既存の型の形式から無駄動きの要素を省き、最終的に六十八手あるという分析を行って自分の合理的なスタイルを作り上げ、それを使って指導を始めている。この方法は、ある形で攻められれば、必ず切り返せるという方法を生み出す。ある意味で、曖昧であった「型」による教育から、「マニュアル」的な教育化へと大きな変化を生み出したと言える。そのため、誰でも非常にわかりやすいために、習得がさらに圧倒的に早くなったという。もちろん、これは竹刀と防具というイノベーションが起きていなければ、成立しない方法であっただろう。

ところが、その方法は、型を重視してきた木刀で学んだ「古法」の人たちにとっては面白い話ではない。物語は、千葉の「新法」と、既存の中心勢力であった「古法」との対立が描かれていく。まだ、千葉が学んだ師匠の年代の人たちは、竹刀と防具という方法を取り入れながらも、自分自身は古法によって学習してきた人も少なくない。そのため、千葉の師匠は独自の教育を始めた千葉が許せず、古法の強さを見せようとして対決をするが千葉に破れる。千葉は破門となるが、浪人として、自分の方法が正しいかどうかを確かめるために、当時100あった江戸の道場の全部の道場を破りを始める。

千葉のやり方を許せない人たちと、新興勢力としての千葉との対立は後半になると大きくなっていくのだが、結局は、数々の対決を通じて、新法の圧倒的な優位性が明らかになっていく。そして、道場を開いて大きな成功を収めるところで終わる。「昔の上手は、今の下手」と言われるほど、差が付いていると当時は考えられていたようだ。江戸時代に入ってから数百年停滞したと言われる剣道の方法を刷新したとまで書かれていた。

司馬遼太郎の小説は、もちろん、立志伝的な人物に焦点を当てているので、勝って歴史に名を残した人間の物語だ。千葉は一介の農家の出身で、父親の大望と貧しかったために剣の道に進まされた。身体も大きいという才能にも恵まれて成果を出せた。ただ、千葉のような試みをした人は、こうしたイノベーションの常で、少なくとも100人はいたのだろう。そして、大半は成功することなく埋もれたのだろう。

江戸時代という土台があるからこそ発展した剣道

一方で、千葉周作の成功の環境は、江戸時代という社会経済基盤の影響の大きさも感じた。竹刀と防具が先端な学習環境として登場した時期に学ぶことができた運の良さ、個の能力が数少ない出世のチャンスを作り出すという社会が続いたからこそ、成り立ったのだろうと想像もした。また、剣道は何をもって勝ちとするかというルールがしっかりと定まっており、武士という階級による社会的なニーズも高かったからこそ、その技術の発展が求められる余地があった。

ただ、剣道は、集団での争いや、近代戦には向かないことは、明治時代になり、1877年の西南戦争ではっきりした。剣道を磨き上げた武士たちよりも、銃器で武装した雑兵の集団の方が、強いことが証明されてしまった。

玄武館は、明治期には卓越した剣道家を生み出したが、その後、関東大震災で焼失した。その後、太平洋戦争を経て、多くの関係者が亡くなったこともあり、継続には苦労をしているようで、現在は細々と続いているばかりになっている。

成功のための土台の前提条件がなくなれば、社会的なニーズも変わってしまう。剣道は今でももちろん続いているが、当時ほどの影響力はもちろんないだろう。江戸時代に数々のイノベーションを引き起こしていた技術であっても、当たり前のように、社会の前提が崩れると、その隆盛が続き続けることは難しくなる。時代の求めによるイノベーションの誕生と、その変化への適応の難しさの例とも考えながら読み終えた。

新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT) @kiyoshi_shin