ではいったい何をすべきか(前) 何をどう議論すべきか

小幡 績

もう経済政策にうんざりしている読者も多いのではないか。

政治の世界では、民主党とみんなの党の勢いがなくなったことからリフレ派もやや後退したかと思ったのもつかの間、自民党の復権とともに、古典的な公共事業推進論が出てきて、もはやまともにはやっていられない、という感じだろうか。

それでも正論を説き続ける池尾氏には頭が下がるが、まっとうな議論は池尾先生に任せるとして、経済理論を理解しようとしない人々との泥仕合は、汚れ役の私が引き受けることにしよう。

泥仕合では何が必要か。

要は結果なのである。

どうすれば経済がよくなるか。

それにつきる。


日本の経済はどうすればよくなるか。

それは景気対策ではない。

景気対策をすることは、何の意味もなく、資源の浪費である。財政政策も金融政策も無限に出来るわけではないので、意味のないことをすれば、意味のあることが出来なくなる。

景気対策をするべきではない、という議論をする前に、議論の方法について述べることにしよう。

金融政策は、無限にマネーを供給すればいいから、無限に出来ると思っている人々がいるが、それを論理的に説明しても聞く耳を持たないようなので、別路線で説明することにしよう。

つまり、マネーを無限に供給したとしても、それ自体が経済にプラスなわけではない。そもそも何が経済にとってプラスとなるかを考え、それを可能にする政策を考える、これを一つ目の議論としよう。もう少し言うと、彼らが、マネーの無限供給によって何を期待しているのか、その期待していることを起こすためには何が必要なのか、それを議論しよう。

もうひとつの道は、マネーの無限供給を行うと実際に何が起こるのか。それを議論する中で、同じ結果を起こすのであれば、よりましな方法を提示することにより、そちらの政策を推進してはどうか、ということを提案しよう。

本来であれば、こんなまどろっこしいことをせず、第三の道、つまり、選挙に勝てる政策、つまり、票を取れるような経済政策を提案すればすむのであるが、現在の日本の政治家のやっかいなところは、選挙に勝つことよりも自己満足を追求することを優先していることであり、そうである以上、この第三の道だけではすまないところがある。これが現在の政界における政策議論の混迷の最大の要因であると考える。

そして、第二の政策混迷の原因は、有識者という自己認識、あるいは一般的な認識をされている人々が、論理的な議論を受け入れない(理解できない)ところにあり、これをも含めて、今回は政策について考えることにしたい。