アゴラの辻氏の記事にも引用されているが、内田樹氏の記事が話題になっている。例によってだらだらと長いが、要点は最後の数行だ。
大阪維新の会はまさにこのグローバル企業と政官が国策的に推し進めている「国内労働者の絶対的窮乏化」路線そのものを政治綱領の前面に掲げたという点で「前代未聞の政治運動」なのである。[・・・]
維新の会が権力を掌握すれば、体制が「変わる」という点については、間違いなく変わる。それは私が保証してあげる。ただ、その「変化」は労働者の絶対的窮乏化と「グローバル企業」の収益の増大と彼らのいわゆる「国際競争力」の向上に資するものであることは告げておかなければならない。
資本家と国家がグルになって労働者を窮乏化させている、という今どき共産党でも言わない陰謀論が出てくるのは笑わせるが、いま起こっている賃金低下は「国策」の結果ではない。それは要素価格の均等化という当たり前の経済法則の結果である。中国で時給100円でつくれるジーンズを日本で時給800円でつくる企業がいなくなるのは当然であり、国策として強要する必要なんかない。
ところが比較優位を知らない内田樹氏にとっては、グローバル化で資本家だけが幸福になって労働者は不幸になるらしい。ここから出てくる結論は、国内に引きこもって政府がバラマキ公共事業で需要拡大しろ、という藤井聡氏や中野剛志氏の国家社会主義だが、労働者はそれで幸福になるのだろうか?
財政のバラマキで、所得格差の拡大は止めることができる。それは貧しい人が豊かになるからではなく、みんなが平等に貧しくなるからだ。公共事業の乗数効果は最近では1以下なので、納税者の所得が土建業者に移転されるだけだ。労働人口は毎年1%ずつ減ってゆくので、反グローバリズムは縮小均衡の道である。さらに200兆円の国債発行によって財政が破綻したら、日本経済は壊滅する。
グローバル化ですべての人が幸福になることはないが、それは反グローバリズムも同じだ。問題は国民全体としてどうなるかであり、その物差しの一つがGDPだが、グローバル化を拒否して日本のGDPが上がることはありえない。内田氏が反グローバリズムを主張するなら、それによってGDP以外の指標でみて人々が幸福になることを示すしかない。
これはトリヴィアルな問題ではなく、たとえば幸福度といった指標で計測する試みもある。しかし幸福度の上位はニュージーランドや北欧やオランダなどグローバル化した国が多く、日本は24位である。反グローバリズムで幸福度が上がることは望めそうにない。内田氏のいうように何もしないで富を食いつぶしてゆくのは、私の世代にとっては悪くない選択だが、若者はそれでいいのだろうか。