財政出動と別荘のモダンな関係 2

小幡 績

問題は、マクロ的な財政出動で、意味のある雇用維持、雇用拡大ができるか、ということである。

公共事業が、民間の他の仕事に比べて遜色ない人的資本を蓄積できた時代はそれでよかった。

しかし、今後、公共事業が減る中で、それを打ち出しても、長期的にプラスになる人的資本の蓄積にはつながらない。むしろ、移行を阻害することになってしまう。


そうなると、既存の民間経済主体の枠組みを生かして支援、ということになり、中小企業に雇用助成金のようなものを出すことになるが、それもどうなのか。

個別の政策を議論するとキリがないが、理想的なのは、消費者が消費するものを選択する、いわゆる市場メカニズムを利用して、意味のある、消費者に買われるものを作った企業が恩恵を受け、その企業で雇用が増えるのが理想型だ。

そうなると、勝ち組にさらに支援をすることが望ましいことになる。危機に陥っている企業が倒産せず、またリストラも最小限になるように財政支援をするのはマイナスだ。

その企業から、技術も人も別の効率的に経営されている企業に移し、さらに、その企業で雇用を増やしてもらうことが効率的なはずだ。

これにはかなり違和感があるかもしれないが、極めて合理的である。

例えば、伸びている企業ほど、海外に工場を移し、国内雇用も同時に増やしている、というデータがある。考えてみれば当然で、競争力維持のために、日本という立地にこだわらず、ベストの生産地を選択し(必ずしもコスト、為替だけの問題ではなく、消費地に近いなどの総合的な理由で)、その結果、グローバル競争に勝ち残り、生産を増やし、その結果、国内雇用も増やすことができ、企業も成長する。

これを財政で加速的に支援できればいいということだ。

駄目な企業を支援するのではなく、可能性のある企業のグローバル競争の勝利の可能性をさらに高める支援をする、ということだ。

***

問題は,バブルと別荘だ。

忘れていたわけではない。

バブル崩壊後も同じ考え方で臨んで良いのだろうか。

理論的には良いはずだ。

その場合は、バブルの責任は追及してはいけない。

忘れることが重要だ。

現時点で、将来へ向けて、効率的になり得る箱、企業があれば、それは政府が支援しても良いから、それを立て直し、効率の良い企業にし、雇用を拡大させる。

長期的なモラルハザード、公平感の問題は別に存在するが、中期までの効率性だけから行くと、これでいい。

経営者も労働者も、今後、使える人材であれば、彼らをメンテナンスし、持っている人的資本がさび付かず、また次の時代でも活かせるようにすることを手助けすることを、財政でやって構わない。

しかし、問題は,バブルの責任は問わなくて良いが、今後、効率的な企業となり得るかどうか、その人的資本が活用できるようになるか、その判断はしなくてはいけない、ということで、それは政府にはできない、ということだ。

先にも触れたように、消費市場を通じて企業に競争してもらうのが良いのだが、なかなか、そこまで間接的な財政出動は難しく、どうしても産業やカテゴリーを特定せざるを得ない面がある。

例えば、家電エコポイントやエコカー減税は、マクロの財政政策として行われ、それとしては意味があったが、結果的には、家電メーカーの危機を招いた。

危機を回避するために、摩擦の緩和として、需要のつなぎを政府が補助したのであるが、下手にテレビから動けなくなり、それらの政策効果が失われたときには、より大きな危機に陥ってしまった。

エコポイントがなければ、テレビの危機は早くからもっと明瞭に顕在化していたはずで、どんなに駄目な経営者でも、もう少し早く手を打ったはずだ。さらに、これらの需要促進は、需要を生んだわけではなく、前倒しただけだから、反動減はよりきつくなった。Krugman的には、もっとエコポイントを拡大して継続しろ、ということかもしれないが(90年代のKrugmanはこのような駆け込み需要の促進を主張していた)、もう前倒しされる需要もほとんどないだろうから(小幡家はまだブラウン管だが)、意味がない。

つまり、別荘に、カネを突っ込むのはコストがかかるばかりで、危機に陥ったら、損切りした方がいいのは明らかで(損切りも難しいのが別荘の特徴だが、企業も別の理由で損切り出来ない)、誰も別荘を生かして再浮上となはらない。リストラして、本拠を充実させて、コンパクトにし、そこで再拡大を目指すことになる。

しかし、現実には、どの産業、どの仕事が別荘的なものかは分からない。カテゴライズされていないのである。

だから困る。

さらに困るのは、バブルと別荘は結びついているから、つまり、別荘というのは、バブル期に流行り、盛り上がるから、2つを結びつけて考えてしまうのだ。

つまり、バブル崩壊後、財政支援をする場合に、別荘のように不的確なものを見抜かないといけないが、どれが別荘だが分からない場合には、それと結びついている場合が多い、バブル時代に盛り上がったものを別荘的なものとカテゴライズして理解しようとしてしまう。これは、バブルの責任を取らせる、と言う意味でもしっくりくるから支持を受ける。

その結果、財政出動は、的確でない分野に向かってしまうのだ。