黙祷とシュプレヒコール --- 坂田 航

アゴラ編集部

広島に原爆が投下されてから67年目になる8月6日、広島市では平和記念式典が執り行われ、被爆者の遺族や関係者が参列しました。全国各地で反原発運動が高まる中、広島市にも多くのデモ隊が駆けつけ、運動をしていたようです。そして、黙祷や小学生が平和への誓いを朗読している最中にも、彼らがシュプレヒコールを叫んでいたことがTwitterで話題になっていました。


私は現地入りしていたわけではないので詳しい状況を掴むことはできないのですが、労組が中心となって運動をしていたようです。その様子は現地の人だけでなく、中継をしたNHKの番組にも多少の音声が入り込んでいたため、確認をすることはできました。

Twitterのタイムラインを見ていると「御霊に無礼だ」「被爆者を冒涜している」「支持を集めるわけがない」などといった否定的な意見が大半を占めていました。

では、国会包囲抗議で20万人ものデモ隊を動員したこの運動が否定的に受け取められたのはなぜでしょうか。それは、平和を祈願するための式典なのにも関わらず、平和メッセージを打ち出す前に自分達のイデオロギーばかりを前面に出してしまったからでしょう。もちろん、彼らとしてはイデオロギー表現の場として式典を利用しているのでしょうが、平和を祈念する気がない集団として認識されてしまったのでしょう。その結果、「式典に便乗した薄情な左翼」といった認識を抱いた人も少なくないことでしょう。

そもそも反原発・脱原発といった主張自体、元々は共産党・社民党といった革新政党が打ち出していたもので、原発事故以前はそういった主張は「サヨク的」といったレッテルを貼られる傾向にありました。安保闘争によって左翼運動に否定的なイメージがつきまとった結果、いくら原発を停止することが理論的に正しくても、あまり支持される傾向にはありませんでした。

もちろんそこにはマスメディアの偏った報道や政府によるミスリードなどの外的要因があったのも確かですが、印象論で反原発・脱原発が今程支持された時期はなかったのではないでしょうか。それは反原発運動がもはやサヨク的ではなくなったからでしょう。イデオロギーに関係なく、もはや原発は危険で安全を担保できないものだということが原発事故によって明らかになった以上、「左翼だから」といって斬り捨てることは不可能になったのです。

しかし、そうはいってもデモを見ていると共産党や労組の旗が幅を利かせ、どうしても左翼運動の印象は拭えません。一度「市民運動」になったものが、「左翼運動」に戻ってしまえば、支持者は減っていくでしょうし、運動はそう長続きしなくなるでしょう。そうなれば、20万人に達したデモも一時の盛り上がりで終わってしまいます。やっとここまできたのだから、自分達のイデオロギーを主張することばかり考えるのではなく、見た人がどのように感じるかくらいは考えた方がいい。客体を考えないデモはただの喚きに過ぎないのです。

※首都圏反原発連合はこれを防ぐために旗を掲げることを禁止していますが、反原連主催でないデモでは団体の旗が林立し、近づきにくい印象があります。

坂田 航
大学生ブロガー
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