私は「アセットライト」という言葉を時々使わせてもらっています。あまり、一つのものに大きなウェイトをかけない、という意です。これは見方によれば、ビジネスのみならず、私生活でもそうなのかもしれません。
5、6年前までは老人ホームといえばほとんどの人は数千万円の入居金を払わねばならない敷居の高いところで「これでは老人ホームに入れない」という高齢者の嘆き節が良く聞こえてたものでした。一方、初期の老人ホームはさまざまな苦い話があったことも事実です。入居者にとって唯一の楽しみである食事についての不満は爆発的で私もフィージビリティスタディをしていた際、既存のシステムでは対応しきれないという判断を下したことがあります。
それは単に食事のクオリティを求めるのではなく、例えばご飯の焚き方一つ、味噌汁の味一つが高齢者になればなるほど許容キャパシティーが小さくなるため入居者全員の満足感を求めることが不可能になってくるわけです。
また、ある意味、「この歳になって」共同生活を強いられ、知らない土地で知らない人たちと時間を過ごすというのは理不尽そのものでありました。私はすぐに気がつき、大きな変化が訪れるとそのとき強く思っておりました。
先日、日経ビジネスの特集、「老人ホーム革命」を読んでいて失礼ながら思わず笑ってしまいました。それはこのくだりです:
「従来の介護付き有料老人ホームはその役割を終えつつある」。老人ホーム運営大手メッセージの橋本俊明会長は同社が進めてきた事業を否定するかのような発言を口にした。
老人ホームビジネスが激変期を迎えているということです。そして、理不尽はやはり、修正されるべく変革がおきつつあるということです。私がアセットライトというのはその当時、数千万、あるいは億近くのお金を出して入居した人たちが「あぁ、こんなに安くこんなに快適なものが出来るとは…」と後悔する人もいるかと思うのです。
さて、今後の高齢者住宅の方向は私が当時検討した「サービス付高齢者向け住宅(サ高住)」そのものであります。私が当時何故このスタイルが本格化すると思い、突っ込んだビジネス研究をしたかといえば大半の高齢者はいくつかの譲れないポリシーがあるのです。
今住んでいるところへの愛着
安い金額(ある程度資産を持っている人でも何歳まで生きるか分からない不安で支出は絞り込みます)
ある程度の自立
高齢者と同居したくない(自分は若くて元気だと思っています)
これを満たすのは残念ながら厚生労働省の役人の頭で考えた仕組みでは無理なのです。一方、国土交通省が主体となった高齢者向け住宅の初期のモデルもひどいものでした。ですが、ようやくその二つのモデルが進化、合体し、地域に多数の自立型独立のサービス付住宅が出来始めます。その見込み約60万戸です。既存の老人ホームのほぼ2倍なのです。
私は高齢者には働く喜びを与えよ、というポリシーを持っています。それは自分が生きて奉仕しているという気持ちを持つことでメンタルな健康を保てるのです。ですからいわゆるシェアハウスの高齢者版、ないし、若い人とのミックス版なども今後、潜在的可能性がある市場だと思います。
本格的な高齢化社会を迎えるに当たりその住宅基盤は生活というファクターと絡ませあいながら今後、更なる変化、進化を遂げていくことと思います。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年8月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。