米国は「尖閣諸島に日米安全保障条約が適用される」と明言したが、これは、尖閣諸島への攻撃を米国への攻撃と見做し「集団的自衛権」を適用すると宣言したものである。
米国のこの声明は「日米安保反対」「平和憲法死守」論者の主張を根本から否定するもので、「国旗、国歌条例」問題とは比べものにならない重大事件であるはずだ。
私は、「平和憲法死守」「日米安保反対」を叫ぶ民社党、共産党やリベラルな学者、評論家がこの米国声明に一斉に抗議するのは勿論、大阪市の「国旗、国歌条例」と言う一地方の問題で、あれだけ大騒ぎした日教組や「反ハシズム」の学者先生方などは、アメリカ大使館や外務省、防衛省、首相官邸に大挙して押し掛けると思っていたが、何も起こらないのが不思議でならない。
中国側の反応は、訪米中の中国人民解放軍の蔡英挺副総参謀長が米側との会談で米国の声明に強く反対したと英文で報じた事と、中国外務省が北京の米大使館当局者を呼んで「強烈な不満と断固とした反対」を表明した程度の極めて形式的で大人しいものであった。過度な反日運動を黙認した対日反応との違いの大きさも印象的だ。
これも,尖閣問題を日中間の問題以上に広げたくない中国の思惑か、米国を刺激したくない計算があったのであろうが、日米安保条約がそれなりに効果を挙げた証左でもあろう。
あれだけ反米、反安保で凝り固まって居た人達が、具体的な問題になると口を閉ざす傾向を見ると、「世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ『頑張ろう日本』『頑張ろう東北』『絆』と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だ」と言う橋下市長の気持ちも理解できる。
相手があって起こる国際紛争は、日本だけが「平和憲法」だと絶叫しても、平和が保障される訳が無い事は子供でも判る。
日本と異なり、国際機関から正式に「永世中立国」として承認されているスイスでも、自国防衛の軍事力が国是であり、憲法で「国民皆兵」の義務が盛られ、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら永世中立を堅持してきた国である。
この現実を知ってか知らずにか、「平和憲法死守」「日米安保反対」派の有識者は、今でもこんな主張を繰り返している。曰く :
「日本の米軍基地がなくなったら一番困るのはアメリカで、小国の日本は、他国の平和を実現させる国力は持ち合わせてはいないし、『平和や民主主義、自由のために』国際社会で『責任を果たしていく』必要はなく、国際平和に対して責任を持つこともできない。
日本は「一国平和主義」を採用し、他国からの干渉を受けず、他国にも干渉をしないという姿勢を貫くべきである。又、日本の『中国脅威論』「北朝鮮脅威論」には根拠がなく『何をするか分からない』という漠然とした不安感は、いわば『お化け』を怖がる心理と同じであって、日本人が脅威と教え込まれている中国は、大震災に際して救助隊員派遣や多くの物資の支援をして呉れたし、北朝鮮は在日同胞に50万ドル、日本赤十字に10万ドルの慰問金を手交すなど『ならず者』とは程遠い人道的な国家であり、在日米軍の『トモダチ作戦』そのものが日米軍事一体化の進行であり手放しで歓迎し、褒めそやす傾向は危険である。
中国の軍事政策は防衛を基本として成り立っており、問題のカギは、日本がアメリカ軍の日本の基地使用をさせないこと、日米安保をやめること。そうすれば、アメリカの『核の傘』が必要などというばかげた主張も自然に雲散霧消する。
日本人は、幻想を捨て、真実を見なければならない。平和・民主主義・人権の破壊と自分勝手な軍事作戦が満載されたアメリカの対外関係史を学ぶべきである」
私には、この主張こそ「幻想」としか思えない。
このようなリベラル派のインテリの抽象的なお説教は別にして、「日米安保条約による日本の領土保全擁護」と言う具体的な問題が起きた今こそ、リベラル派の主張が「理念に基つく一貫した主張」か「平和ボケの馬鹿の一つ覚え」かを国民が選別できる絶好の機会である。
戦後半世紀以上を経て、戦争経験を知らない世代が大半になり、自分の国を守るという発想すら曖昧になっている日本の現状は、真剣に考え直す必要がある。ガンジーやマンデラの例でも解る通り、平和主義者は「自由を失い」「死を覚悟する」勇気がなければ他人を説得できない。
「平和憲法死守派」に少しでも勇気と一貫性があるなら、尖閣諸島に日米安全保障条約を適用する事が、如何に日本の国益と世界の平和に害を与えるかについて、国民的な大論議を起こして欲しい。