デビィ夫人よ、AKB48ファンを叱るのはおやめなさい 「推せない」国家と政治家を憂う

常見 陽平

AKB48からあっちゃんこと、前田敦子が卒業した。東京ドーム3Days公演、秋葉原のAKB48劇場での卒業公演が終了した。東京ドームにはのべ14万4000人、AKB48劇場には定員250人に対し、22万9096人の応募があったという。

この騒ぎに対して、デヴィ夫人が自身のブログにて『「AKB48」に うつつを抜かしている 場合じゃないでしょう!!』というタイトルで、領土問題をめぐる中国・韓国との緊張が高まる中でのAKB48フィーバーを批判し話題になった。

ただ、ちょっと待って欲しい。AKB48のメンバーを推さざるを得ない状況、さらに平和ボケに骨抜きになったあげく国民が「推せない国」になってしまっている、我が国の状況も理解するべきだと思うのだ。


保身のために言うわけではないが、私はAKB48とそのファン批判以外の部分に関しては、デヴィ夫人の愛国、憂国の想いには賛同する。主張の真意を理解しなければ、丁寧な批判はできないので、私はファンでもないのにわざわざニコニコのブロマガ、デヴィ夫人チャンネルに登録した。

彼女の今回のエントリー、及び有料のブロマガの内容は平和ボケした日本に警鐘を鳴らし、国民を覚醒させるための、愛国、憂国の想いからの行為だと解釈している。竹島、尖閣諸島をめぐる緊迫した状況について、国民は虚心に直視するべきである。デヴィ夫人が指摘するように、「遺憾であります」「理性的な 大人の対応」「国際司法裁判所に・・・」などという言葉を繰り返す現状を真摯に顧みるべきである。硬い頭に釘を打ち込むのは今なのだ。

ただし、デヴィ夫人は「甘えだ」と言うからもしれないが、人は自ら育つという部分と、社会の中で育てられるという部分がある。このような状況になってしまったのも、我々国民が長年かけて骨抜き、腰抜けになっていったからであり、今になって警鐘を鳴らしても、すぐには変われないものである。

AKB48にうつつを抜かすのはけしからんというのではなく、まずはAKB48に熱狂せざるを得ない、夢中にならざるを得ない、現状を冷徹に見つめるべきではなかろうか。

より言葉を選ばず言うならば、今の我が国は、そして政治家は、AKB48ほど「推せない」のである。今の日本には「参加する快楽」がないのである。人は本来、誰かを、何かを推すために生きているのにも関わらず、だ。

そんな私もAKB48に詳しいわけでは決してなかった。たまに「会いたかった」を自宅でのエアロビクスのBGMにしたり、論客と対談する前に魂を高揚させるために「Beginner」を口ずさむくらいだから、スーパーライトなファンだ。「ヘビーローテーション」なのはAKB48よりも、Arch Enemy、Children of Bodomなどの北欧メロディック・デス・メタル、LOUDNESS、ANTHEM、SABER TIGERなどの日本のヘビメタである。

周りの友人や、大学の教え子たちの熱狂ぶりに同情しつつも、ややさめた視線で見ていた。傷つきながら夢を見る生き方に過激なセンチメンタリズムと疑問を同時に感じていた。

しかし、本日、私は、AKB48のことを1ミリも理解していないことに気づいたのだ。


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この本を読んだからだ。小林よしのり、中森明夫、宇野常寛、濱野智史という気鋭の論客達が、熱く深くAKB48について語り倒している様子に、私は不覚にも電車の中でガン泣きしてしまった。AKB48の奥深さを知らなかったことを猛省し、どこにも居られない気分になってしまったのだ。そして、ある対象に対して、大の大人がこれだけ熱くなっていいのだと、大事な原点を確認することができたのだ。熱量が、半端無かったのだ。

この本でも触れられているが、AKB48には「参加する快楽」があり、「推さざるを得ない衝動」があるのだ。人はみな、誰かを推すために生きているのである。

こう書くと、ますますけしからんと言われそうだが、ただ、みんなが政治家、いや国家すら推せない状況を直視するべきである。

そのあたりは、デヴィ夫人もふれていて、ややネタバレだが、ニコニコのブロマガでは、前田敦子や秋元康氏による啓蒙活動を提案している。

まぁ、それもいいのだけど、なぜAKB48に熱狂し、政治に対してはしないのか、これを必死に研究するべきだ。選挙に行こうが、デモに行こうが、日本は変わらないことに国民は薄々気づいてしまっている。そもそも、我々の「清き1票」は1票ではない(このサイトで計算してほしい)

池田信夫先生が再三指摘しているが、従軍慰安婦のことにしろ、原発事故の影響にしろ我々は本当のことを知らない。いつの間にか包帯のようなウソに騙されてしまっているのである。

デヴィ夫人よ、あなたの愛国、憂国の気持ちはよくわかった。あなたの問題提起によって、いかに我が国が腰抜けかが可視化されたと言えるだろう。だが、すでにAKB48ほど「推せない国」になっている現実もご理解頂きたいのだ。政治的無関心は問題だが、「推せない国」「推せない政治」もまた問題である。そんな国に生きる私たちは絶望の国の、絶望の国民たちである。

最後にデヴィ夫人よ。

私を嫌いになっても、AKB48とそのファンを嫌いにならないで頂きたい。

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