「弱者救済」を理由にした貸金業法の上限金利規制や総量規制によって消費者金融業は壊滅し、債務者は闇金に流れ、弱者はまったく救われなかった。本書は、それを当事者(立法当時の自民党の金融調査会小委員長)が自己批判したものだ。現代ビジネスでも著者が「告白」しているが、率直にいって「今ごろ何いってるの」という印象だ。特に総量規制の弊害については、私を含めて多くの経済学者が法改正前から警告してきた。その予想どおりのことが起こっただけだ。
問題は、こんな当たり前のことがなぜ政治の世界では通らないのかということだ。著者があげている原因は、選挙とマスコミである。これも独創的な洞察とはいいがたいが、それを自覚しただけましだろう。批判する人々を「三流経済学者」などと罵倒した後藤田正純氏は、いまだに反省の色も見えない。
著者もいうように、政治家が有権者に迎合して短期的な利益誘導に傾き、その長期的なコストを無視することはデモクラシーの通弊である。労働契約法の改正でもTPPでも消費税でも原発でも、同様の騒ぎが繰り返されている。こういうとき、毎日新聞などの左翼メディアが騒ぐのも毎度おなじみだ。
こうした愚行がなぜ繰り返されるのだろうか。一つの答は政治家とマスコミが馬鹿だということだが、もう一つは彼らが結果に責任を負わないということだ。マスコミは仕方がないが、日本では政治家も立法機能をもたないロビイストでしかない。長期的な結果に責任を負う行政は全体を考えるが、政治家は短期的な(目に見える)問題へのバイアスをもつ。福島みずほ症候群は、与野党を問わず日本の政治家の持病なのだ。
これはデモクラシーの本質的な欠陥で、是正することは容易ではない。その一つの対策は、デモクラシーを減らすことだ。誤解を恐れずにいえば、大阪で橋下市長が実験しているように「中国型」システムを導入することは一つの選択肢だと思う。もちろん中国のような一党独裁は好ましくないが、過剰なデモクラシーが蔓延している日本では、多少それを削減する改革もあっていいのではないか。
追記:アマゾンのデータをコピーしたら原著と違っていた。「救われないか」ではなく「救われないのか」。アマゾンも訂正したほうがいいよ。