内部通報者の勇気は「喫煙室」から生まれる?(花王・子会社横領事件) --- 山口 利昭

アゴラ編集部

花王の元会長でいらっしゃる常盤文克氏のご著書「新・日本的経営を考える」のなかで、社内に設置されている「喫煙室」の雰囲気が、何でも言い合える強い組織をつくるヒントになる、と紹介されています(同書255頁)。煙草を吸うことの良し悪しは別としまして、あの喫煙室というところは、肩身の狭い「うしろめたさ」を漂わせた人たちが集まることから、なんとも言えない連帯感が生まれ、そこでは組織内におけるホンネの会話が飛び交い、いろいろな情報が入手できるとか。


そういえば以前、日本監査役協会(関西支部)でシンポの司会をさせていただいたときも、登壇されていた某企業の常勤監査役さんが「監査役として一番情報が入手しやすいのは喫煙所」と明言されていました。花王の元会長さんは、こういった喫煙室のような雰囲気を、なんとか社内全般に作ることが、組織としての強さを生むということを述べておられ、私もとても納得するところです。ちなみに、日本の本社では部長クラスの方が、海外子会社の経営トップとして赴任しているときに、日本から経営幹部の人たちが海外出張で来られた際、やはり「日本から離れた解放感や連帯感」からでしょうか、本社では語れないようなことも(職階を越えて)本音トークで語れる雰囲気がありますよね。あれとよく似た感覚なのかもしれません。

さて、その花王の子会社におきまして、(中部地区担当の)元経理部長の方が、10年にわたり約2億7000万円もの会社のお金を使い込み、業務上横領罪で逮捕された、と報じられています(中日新聞ニュースはこちら)。横領の手口は、内部統制システムを無効化させるものでして、いかにも経理部長という立場を悪用したものです。ただ、当該子会社が不正事実を知ったのは、この元経理部長の部下の方が、元経理部長の業務処理を不審に思い、本社に相談したことによるものだそうです。今年もグループ会社における不正が問題となることが多いようですが、先日ご紹介した沖電気工業社の子会社不正事件とは異なり、今回は内部通報によって発覚しています(もし内部通報がなかったとすると、現在もこの横領事件は発覚していなかった、ということでしょうかね? まぁ、子会社の、しかも支社における不正ですから、なかなか管理が行き届かないこともやむをえないところかもしれません。)

花王子会社としては、通報を受領後、すみやかに社内調査を行い、告訴受理に至る程度の証拠を収集されたようですので、とりあえず一見落着のようです。よくぞ部下の方が通報(正確には本社へ相談)したものだと思いますが、果たして当該部下の方は正義感に燃えて、意を決して相談した、ということなのでしょうか。ここのところはたいへん難しいところでして、内部通報を行うには、誰かが通報者のお尻を叩いてくれないと普通は無理ではないか、というのが現実の感覚だと思います。内部通報で著名な事件といえば、トナミ運輸事件、大阪トヨタ販売事件、オリンパス配転命令無効事件、そして最近では大阪市清掃職員事件などがありますが、(誤解をおそれずに申し上げますと)いずれの事件でも、通報者の方の個人としての力強さが感じられ、あれくらい精神的にタフでなければ内部通報ができないのではないか、といった印象を受けます。したがって、一般の社員としては、いくらヘルプラインが整備されているとしても、通報事実が自分と利害関係がある、といったことでもないかぎりは、なかなか通報はできません。そこで、どうしても通報を断行するためには、誰かの後押しが求められることになります。

たとえば、昨年の代表的な事件である大王製紙社の件、九州電力のやらせメールの件は、いずれも内部通報が発端となった事件でありますが、いずれもやはり通報者を元気づける仲間の存在が明らかになっています。つまり、内部通報が行われやすい組織というのは、個の力に期待(依存)するだけでは成り立たず、個の力を引き出す組織の力が不可欠ということになります。上記の花王の元会長さんが指摘されているとおり、「ちょっと相談したいことがあるんですけど」と、容易に悩みを打ち明けられるような雰囲気(自由に情報が流通するような雰囲気)が組織に存在しなければ、なかなか一般社員による内部通報は増えてこないものと思います。これは実際の内部通報制度の運用状況をていねいに検証してみると、よくわかるところです。

果たして、元経理部長の部下の方が、不審な上司(元経理部長)の行動を仲間の社員に相談したのかどうかはニュースからはわかりません。しかし、おそらく「本社に相談することで、自分が中部支社の中で制裁を受けたり、不利なことにならないだろうか」といった不安を抱えていたのではないでしょうか。そういったときに情報の自由な伝達が確保されていること、とくにコンプライアンス重視の風土が根付いている組織であれば、まずは周囲の上司や同僚に打ち明けることもできますし、その相談の結果、本社に通報する勇気も湧いてくることになろうかと思います。内部通報制度の活性化のためには、個々の社員への研修だけではなく、経営トップをはじめとして、「喫煙室の風通し」に似た組織風土を構築するところから意識を持たなければならない、ということが最も大切かと(2億7000万円というのは、世界企業レベルからすると微々たるものかもしれませんが、でもやっぱり通報がなければ10年も発覚しなかったというのは、花王社のコンプライアンス上の課題として残ることになるでしょうね……。それと、最後になりますが、内部通報事実は花王子会社だけが認識していたのか、それとも花王本社自身も相談時点で認識していたのか、そのあたりも少し気になるところです)。


編集部より:この記事は「ビジネス法務の部屋 since 2005」2012年9月13日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった山口利昭氏に感謝いたします。※編集部中:リニエンシーとは処分軽減のこと。
オリジナル原稿を読みたい方はビジネス法務の部屋 since 2005をご覧ください。