茂木健一郎よ、ペーパーテスト批判はやめなさい

常見 陽平

池田信夫先生のエントリーを読んで茂木健一郎が大学について吠えていたことを知った。茂木の言いっぱなしの欧米礼賛、無責任な日本ダメだ論を読むたびに、なんて牧歌的でおめでたいのだろうと思う一方で、それをもっともらしく伝える技はさすが「プロフェッショナルの流儀」だ。敵ながらあっぱれ!

大学の非常勤講師、大学院生、民間の研究所の客員研究員、そして学生を採用する企業のコンサルティングを行なっているという稀有な立場から、茂木の牧歌的な見解を批判するとともに、大学の現状について徒然なるままに書くことにしよう。


池田信夫先生の「ペーパーテストをやめたら大学は崩壊する」を読んだのだが、まったくそのとおりで、ペーパーテスト以外の方法にすれば、優秀な学生が集まる、育つというのは幻想、妄想である。

新卒の採用面接では、高校名を見たり、大学への入学方法を聞いたりする企業が存在する。ずばり、学生の能力・資質に対する不安からである。これらの面接手法は今に始まったばかりではない。親が教育熱心かどうか、幼い頃か競争に取り組んだかどうかを知るために、中学受験をしたかどうかまで聞く企業さえ存在する。

データで見ても、学歴区別・差別の動きが顕著になっている。HR総合調査研究所が毎年行なっている調査では、採用ターゲット校を設定する企業が2013年新卒では48%に達した。2012年卒は39%、2011年卒は33%だったので、年々増えていると言えるだろう。さらに、ほぼどの年度においても約80%の企業は20校以内にターゲット校を絞り込んでいる。リクナビに代表される就職ナビにより採用活動が肥大化したことも原因だが、学生の能力・資質に対する不安からきていると言えるだろう。企業の採用活動において、旧帝大や東工大、一橋大などの評価が未だに高いのは、入学時にちゃんと受験により基礎学力を鍛えていること、競争・ストレスを経験していることなどが評価されているからである。

私学は推薦・AOによる入試が50%に達している。もちろん、推薦・AO入試で入った者が全員ダメなワケではない。特にAOは学業において優秀な学生をたまに輩出していたりもする。もともとAO入試は普通の試験では評価できない学生にスポットを当てるという意味があったはずだ。しかし、これが大学数の増加、若者の減少と相まって、大学を存続させる(そして劣化させる)劇薬となってしまったのはご存知の通りだろう。AO入試の判断基準などは実に曖昧だ。

そもそも論で言うならば、なぜ学歴差別・区別があるかと言うと、大学の人材育成力などまるで評価されていないからだ。もちろん、一部の大学や、理系の大学などは勉強をさせるので評価されているのだが(もっとも、ここで良く言われるお得大学、ユニーク大学などの実態もかなり虚像に満ちているので、これについても、今後レポートすることにする)。

茂木の意見にツッコミを入れておくと、茂木はもしその口頭試問の面接官だったら、どんな面接をするのか?茂木が礼賛しているペーパーテスト以外での評価、つまり面接などの重視というのは、茂木がここ数年、中途半端な正義感と思い込みから批判している新卒一括採用の面接とどう違うのだろうか。もちろん、大学の入試と、企業の面接は違うという反論があるだろうが、実態として内容はどこまで違うだろうか。人間性や創造性の評価ということを言うなら、彼が批判する企業の面接とあまり変わらないだろう。だいたい、そこで否定された人というのは企業の面接以上に救われない。茂木は、ひょっとして海老原嗣生さんや私が集中して批判したことによって転向したのだろうか?だいたい、あなたは、試験官をしたら、多様な人材を、採用できるのか。真摯に省みて頂きたい。

また、大学に入りやすいのかどうか、大学での単位認定や評価が厳しいかどうか、結果として卒業が難しいかどうかはセットで考えないといけないのだ。面接で多様な人材を入れる大学というのは、その後の育て方、評価の仕方のデザインが違う。

そういえば、今週はたまたま、海外のトップクラスのビジネス・スクールにMBA留学をしていた経営者とお会いした。まず、ビジネス・スクールに学ぶ日本人の実力を比較した場合、ちゃんと日本の大学に受験で入った者と、そうでない者では大きな差があったという。基礎力が違うというわけである。ただ、たしかに入試の面接もいくつか受けた大学によって違って、これまでの職務経歴についてくわしく質問し、評価するものもたしかにあったようだ。

思うに、茂木の話はいつも、自由という名のもとで放牧され、個性を評価すれば誰でも優秀な学生になり、天才が生まれるという話にしか聞こえない。違うのだ。やっぱり最初は、基礎、型が必要なのである。エリートや天才の育成「も」大事だという点については同意するし、その部分の強化は必要なのだが、世の中は、普通の人で動いている。もっというといろんな人で動いているのである。一部の特例や、エリートに限った話、システムの一部を抜きだした欧米礼賛はいかがなものかと思うのだ。

中途半端に大学と文科省を批判していたが、彼らはむしろ変革マインドに燃えていて、尖った内容のプログラムが多数出ている。大学関係者ならもちろんやっていることだが、ぜひ文科省のページを毎日チェックして欲しい。もちろん、それでも変革が進まないのは、大学も文科省も意思決定の仕組みによる部分が大きく、ここは問題なのだが。

茂木はこのような事実を虚心に直視したことがあったのだろうか?

というわけで、この手の欧米型の牧歌的礼賛は常に監視し、ツッコミを入れないといけないのだ。

まさに今日のニコ生と来週発表する書籍では、この手の牧歌的欧米礼賛論を猛批判しているのでご期待頂きたい。

「最後にステマかよ!」
と思う読者もいるだろう。

ステマじゃない、捨て身だ。安易な欧米礼賛論に屈しないように、私は闘うのだ。