著者:小熊 英二
販売元:講談社
(2012-08-17)
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★☆☆☆☆
著者は原発再稼働に反対するデモの「理論的指導者」で、先日その代表が首相に面会したときも同席していた。だから本書を読めば、彼らが原発についてどう考え、何を目標にしているのか、「原発ゼロ社会」とはどのようなものかといったビジョンがわかる――と思って読む人は裏切られるだろう。ここにはそういうことは何も書いてないからだ。
著者の本は冗漫なことで知られる。『民主と愛国』は966ページ、『1968』に至っては上下巻で2100ページだ。本書も新書としては異例の516ページもあるが、それはわかりきった話を延々と繰り返しているからだ。大部分は戦後の学生運動や市民運動の歴史のおさらいで、原子力については「原発で日本が破滅する」といった感情論が10ページほど書いてあるだけだ。著者は、明らかに原子力を理解していない。
肝心の「社会を変えるには」どうすればいいのか、という問いについては「みんなが共通して抱いている『自分はないがしろにされている』という感覚を足場に動きを起こす」といった無内容な演説が繰り返されるだけで、何をどう変えるのか、具体的なことはまったく書いてない。
その意味では、本書は反原発デモの気分を表現している。社会に対して漠然とした不満を抱いている人々が、それをぶつける材料として原発を見つけたが、その先に何があるのかは彼らにもわかっていない。かつての学生運動には、曲がりなりにもマルクス主義という理念があり、それを組織化する党派があったが、このデモには目的も理念もない。
けさの「朝まで生テレビ」には反原発運動の代表が3人も出てきたが、「福島の人の気持ちがわかりますか」みたいな情緒的な話ばかりで、誰も相手にしなかった。そして彼らは民主党政権の愚かな「原発ゼロ」政策を後押しし、日本経済に5兆円以上の損害を与え、製造業は日本から出て行き、職が失われる。その最大の被害者は皮肉なことに、デモを指導している入れ墨おばさんのようなフリーターだ。
彼らが現代社会の行き詰まりにいらだつ気分はわかるが、それは原発のせいではないし、それを止めても「社会を変える」ことはできない。著者の思い込みとは違って、原発事故はハルマゲドンではない。福島では1人も死者は出ないし、被災者の帰宅をさまたげているのは反原発デモのような被害妄想なのだ。