「日本の入試制度を変えろ」という意見は「東大入試のやり方を変えろ」ということか

前田 陽次郎

もう今さらながらになった感もあるが、日本の入試制度がペーパーテスト一発勝負であることが悪いことなのか、について私見を書かせてもらう。

要点を先に言えば、「日本の多くの大学入試はペーパーテスト一発勝負でない」のが現実だから、「ペーパーテスト一発勝負が中高生の生活に悪い影響を与えている」という考え方があれば、それは「東大入試が一発勝負だから中高生に悪い影響を与えている」ということに置き換えなければならないのではないか、というのが、私の受け止め方だ。


では、論点を2つに分けさせてもらう。1つは、「ペーパーテスト一発勝負という選抜方法が、大学の選抜方法として劣っているのか」ということ、もう1つは「東大入試が一発勝負だから、そこを目指す中高生の生活に悪影響を与えているのか」ということだ。

まず最初の点。ペーパーテストによる一般入試より、いわゆるAO入試を中心にした方が、多様な人材を確保できて、大学の質を高めることができるのか、ということについて簡単に考える。

現状として、多くの大学において一般入試の比率は下がっている。池田信夫氏によると、早稲田の政経でも一般入試の割合は40%だそうである。また慶応SFCは、開設時にはAO入試を本格的に導入することにより、東大を食ってやろう、というような意気込みがあったような印象を、私は持っている。こうした大学の評価が、今だにペーパーテスト一発勝負の東京大学より高くなっているのか、ということで、入試制度の優劣を、ある程度判断してもいいのではないだろうか。

次の点。こちらが重要かもしれない。「東大がペーパーテスト一発勝負だから、中高生がペーパーテストで点数を取ることばかりに追われて、勉強以外のことができない。だから日本は多様な人材が生まれず、国が発展しない。」という考え方。何となく、ペーパーテスト中心の受験制度に反対する人は、こんな意見を持っているような気がする。

しかし現実をいえば、東大合格者は世間が思っている程、中高生時代に勉強していない。それは逆説的だが、東大入試がペーパーテスト一発勝負だからである。

もちろん東大合格者といっても、いろんな人がいる。何せ一学年の定員が約3000人の大学である。私は理科一類に現役合格したが、理科一類だけで定員1000人以上だ。1つの枠が、それ位大きい。当然、1位で受かる人とビリで受かる人では、状況は全く違うだろう。ここは上位半分以上で受かる(それでも1500人)人について、考えてみよう。

たとえば理一に500番位で受かる実力を今持っているとする。この人はどう考えるだろうか。今500番なら、100番以内で受かるよう頑張って勉強しよう、と思うだろうか。当然、合格者に順位は通知されない。公表されるのは合格者最高点と最低点。あとは自分が何点取ったかは、教えて貰える。こういう状況で、最高点あるいは最高点近くの点数を取れるように頑張ろう、と思うだろうか。さすがに最低点ぎりぎりで受かろうと考える人は少ないだろうが、ほとんどの人は、ほどほど勉強して、今の実力を保てばいい、と考えるのではないだろうか。

こうなると、必要以上の勉強はしなくなる。特に高三になって、受験範囲の勉強が全て一通り終わって、合格点をクリアできる自信が持てれば、ほどほどの勉強しかしない。東大の合格ラインは何点位で、英語で何点、数学で何点取れる、なんて予想を自分で立てて、まあこんなもんでしょう、と思えば、それ以上の勉強はしないのが普通じゃないだろうか。数学で満点を取ってやろう、という気持ちになるのは、本当の上位層だけだろう。間違っても私はそうは思わなかった。まあ6割取れれば十分だ、7割取れればおつりが出る。その程度の気持ちでしか、勉強していない。

こんな感じなので、自分の中高生時代を振り返っても、勉強したという印象は、ほとんど残っていない。好き放題自分のやりたいことをやって遊んだな、という感じである。

ところが高校の内申書が入試に影響するとなると、この状況は大きく変わる。

このブログで書かれているが、内申書が入試に影響するとなると、生徒は日常常に先生の顔色をうかがうようになる。今の日本でも、推薦で大学進学を考えている生徒達は、先生達へのゴマ擂りが激しく、相当なストレスを抱えているという話を聞く。そういう制度の方が、果たして選抜方法として優れているのか、私は疑問を持つ。

私自身のことを振り返ってみる。「俺の言うことを聞かないと、内申書がどうなるか覚悟しておけよ。」と公言するレベルの低い先生がいた。私は最初から東大以外の大学に行くつもりはなかったし、東大入試に内申書が関係ないことは知っていたので、こういう先生の言うことは一切聞かなかった。生徒管理上はいいことではないのだろうが、ペーパーテスト一発勝負に反対する人は、私のような人間を伸ばした方がいい、という考え方なのではないのだろうか。

それから、私は高校の成績はものすごく悪い。というのも、定期テスト向けの勉強を一切しなかったからである。いくら東大に入れる学力があっても、定期テストのために英語の教科書の日本語訳を全て覚えてくるような連中に、勝てるはずがない。こっちは試験の時にほぼ初めてその英文を見て、それから試験時間内に訳し始めるのだから。

仮に東大が内申書重視で、学校の成績は全てAじゃないと受からない、というのであれば、無駄としか思えない定期テストのための勉強をやらざるを得ない。そうなると、私が高校時代に趣味のために費やした時間は、大きく削られていただろうし、勉強以外のことは、何もできなかったかもしれない。

茂木健一郎氏も、多分東大理一に現役合格しているのでしょうから、高校時代にそこまで勉強していないんだろうし、偏差値とは無縁の生活だったはずだから、状況はわかってると思うんだけど、どうしたんでしょうね。高校受験時に激しい偏差値教育を受けて、脳の発達に悪影響が及んだのでしょうか。

前田 陽次郎
長崎総合科学大学非常勤講師