「解散」をめぐる攻防はなにか国民の利益につながるのだろうか

大西 宏

理念やビジョンがなければ、どうしても焦点が目先に行ってしまいます。今、野党が解散を強硬に主張し、またそれをかわそうとする野田内閣との駆け引きが続いていますが、それは政党間の目先の政権をめぐる攻防であって、国民にとっては、どんな意味があるのだろうかと疑問を感じてしまいます。
ただ政権をすこしでも長引かせ、自民党総裁選のキャンペーン効果が収まるのを待ちたい野田政権と、まだその効果が残っている間に選挙に持ち込みたい政党のエゴのぶつかりあいなど、永田町の小さなムラの出来事にしか映ってきません。


しかも、自公が、解散を強硬に主張すればするほど野田総理の手のひらで踊る結果になってきているようにも感じます、それでは今後の困難な状況の中で、政権を担当するしたたかな能力がほんとうにあるのだろうかとすら疑わせます。
谷垣総裁時代もいえることですが、執行部になると、冷静さを失い、とたんにヒステリックになってしまうのは不思議な現象です。安倍総裁や石破幹事長も真っ赤な顔で怒りをぶつけなくとも、時機のズレはあったとしても、解散はあるわけだし、解散が国民にとって緊急課題だとは到底思えません。しかも第三極の予想をはるかに超えた台頭でもないかぎり、自公が政権をとることはほぼ確定的であるだけに、戦術のまずさを感じてしまいます。

民主党は、よほど自公が大きなスキャンダルでも起こさない限り総崩れになることはほぼ見えており、自公が目指すべきは、野田内閣を倒すことよりも、政権への復帰を睨んで、国民からの支持を高め、また信頼を深めること、とくに既成政党への不信感を払拭していくことしかないと思うのですが、どうも永田町という特殊なムラではそういった正論よりは、政局でいかに勝つかを優先するということになってしまっています。

解散をめぐっての攻防が続く限り、国民はいわば置いてきぼりになってしまっています。公明党にいたっては国会審議の拒否する宣言していますが、それは国会のサボタージュを宣言しているに等しく、それなら政党助成金を返納するのが筋ではないでしょうか。

この目先の攻防にとらわれるという構図は、日本の情報家電の各企業が犯したマーケティングの失敗と重なって見えてきます。つまり消費者にどのような価値を提供するかを目指して競いあいではなく、国内市場で市場の主導権をめぐる壮絶な競争にとらわれてしまった結果、目先の競争で有利に立つための小さなイノベーションの積み上げるだけのスパイラルにはまり、結局は横並び競争となり、あげくは大きな市場の変化に対応できず、国際競争力を失ってしまった歴史と同じではないかと。

そもそも、急激に「自民党化」していった野田内閣と、自公の違いがどこにあるのかすら、部外者からにはわからないというのが正直なところです。だからテレビなどで冷静に意見を述べた際には、民主党も、自民党も主張にそう大きな開きがあるわけではありません。解散が長引き、第三極がまとまって、大きな勢力となることを恐れているのでしょうか。それもたんに政権復帰したいという意欲、焦りが強いあまり、国民の利益を忘れてしまったのでしょうか。

とくに今回は、赤字国債の特別公債法案をどうするのかという課題、憲法違反とされた一票の格差の是正をどうするのかの課題が残っています。解散だ、特別公債法案は流れてもいい、違法な状態の選挙でもいいと本気でそう思っているのなら、正直にそう言ってもらえればまだ分かりやすいのでうが、それもよくわかりません。さらに小選挙区の0増5減でお茶を濁すとするのであれば、その後に定数を削減するのか、あるいはそのままなのか、選挙制度をどうしようとするのかの見解も国民に伝えていく必要も感じます。

いったい自公が政権をとって、どのような日本を向かわせようとしているのでしょうか。それもよく分かりません。経済政策ひとつとっても、聞こえてくるのは、与野党ともに金融緩和と産業再生と成長分野への投資といった一般論でしかなく、違いがあっても、どのような方法で、どの程度行なうかといった小さな違いだけでしかありません。政治にも、今の閉塞した状況をブレークスルーするイノベーションが求められていますが、その匂いすら感じさせない状態では、解散時機など国民の関心の焦点になりようがありません。

自公が誤解していると感じるのは、野田内閣や民主党が敵だと思っていることです。ほんとうの敵は、既成政党が、日本を再活性化させる改革やイノベーションを担う能力がないという国民の不信感だと思います。その不信感と向き合わない限り、いくら政権復帰しても、国民からの支持は得られず、また政権は不安定な状態で迷走することになってしまいます。

組合を基盤とした民主党政権、農協や土木業者などの税金を消費する組織、あるいは宗教団体を基盤とした自公政権で、日本の将来に明るい展望を描けるのかも疑問ですが、そろそろ永田町の狭い世界なら抜け出し、大きな構想、大胆な政策を実現できる政権を築いてもらいたいものです。