なぜ日本人はこれほど働いても豊かにならないのか『経済の現場から統計データで見る』

私たちが日々直面している日本経済の閉塞感は、一体どこから来るのだろうか。街を見渡せば、欧米諸国と比較して圧倒的に安価で高品質なモノやサービスがあふれている。顧客側からすればこれほどありがたい環境はないように思えるが、その裏で働く労働者や企業の懐事情は一向に楽にならない。いや、それどころか「働いても働いても生活レベルが上がらない」「それどころか節約を強いられる」という深刻なジレンマに陥っている。

この構造的な違和感を、感情論や精神論ではなく、冷徹な経済統計データと現場のリアルな実務感覚から解き明かすのが、小川製作所社長である小川真由による『経済の現場から統計データで見る インフレ日本の安い賃金』である。


経済の現場から統計データで見る インフレ日本の安い賃金

過剰投資と「守りのコスト」の肥大化

日本経済の停滞を語る上で欠かせないのが、1980年代のバブル期に端を発する過剰な設備投資と、その後の長い後始末の歴史である。一般に、資本主義経済においては設備投資を通じて生産体制を合理化・自動化し、大量生産によってコストを引き下げ、規模の経済を追求するのが王道とされる。

しかし、日本企業はバブル崩壊後も、一度構築した巨大な生産体制や設備をなかなか縮小できずに抱え込み続けた。市場がすでに飽和し、人口減少局面に入っているにもかかわらず、新規の価値を生む「攻めの投資」ではなく、既存の設備を維持し続けるための「守りの投資(維持費用)」に多大なコストを注ぎ込み続けたのだ。

結果として何が起きたか。固定資産の維持費用や減価償却費といった「固定資本消耗」が企業の収益を圧迫し、本来であれば労働者に分配されるべきパイが削り取られていった。つまり、日本の企業が熱心に行ってきた投資の多くは、新たな付加価値を生むためではなく、ただ既存の巨大なシステムを延命させるための「お荷物」と化していたのである。これが、統計データが示す「投資のしすぎによる人の価値の目減り」の正体にほかならない。

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「安売り競争」という名の自給自足的デフレ・スパイラル

さらに事態を悪化させたのが、グローバル化の波と為替の変動、そして国内の供給過剰体質である。プラザ合意以降の急激な円高に対応するため、日本の製造業は海外へ生産拠点を移転せざるを得なくなった。その結果、国内には行き場を失った過剰な生産能力とサプライチェーンが残り、企業は工場の稼働率を維持するためにダンピングとも言える値下げ競争に走った。

「安くしなければ売れない」という強迫観念にとらわれた企業は、価格を下げるために生産量を増やし、そのしわ寄せを安い労働コストや下請けへの買いたたきで埋め合わせようとした。これが、「安くて良いモノ」が市場にあふれる一方で、そこで働く人々の賃金が上がらない構造的メカニズムである。

欧米であれば、インフレや適正な利潤の追求とともに価格改定が行われるところ、日本市場では「安さ」が正義として信仰され続けた。その結果、海外からのビジネス参入や投資も「すでに飽和しており儲からない市場」として敬遠され、対内直接投資が主要先進国の中で極端に低いというアンバランスな状態を招いた。私たちは知らず知らずのうちに、「自分の仕事の価値を安売りする」ことで、この身を削るデフレシステムを内側から支え続けてきたのである。

適正な価格と取引を取り戻すために

これは本書が提示するほんの一例だが、統計データと現場のファクトが突きつけている現実は重い。しかし、それは同時に、私たちが直面している問題の原因がどこにあるのかをクリアに示している。

問題の本質は、日本人の能力が劣っているわけでも、労働生産性が絶望的に低いわけでもない。間違った規模の経済の追求と、維持コストばかりが肥大化する不合理な投資システム、そして何より「安いこと」を美徳とする歪んだマインドセットが、私たちの賃金を抑え込んできたのだ。

この閉塞感を打ち破る特効薬はない。だが、まずは私たち一人ひとりが、ビジネスを「価格のバトンリレー」として捉え直し、安売り競争という名の呪縛から脱却すること。そして、仕事が生み出す「付加価値」に対して適正な対価を支払い、受け取るというごく当たり前の経済原理に立ち返ること以外に、真の豊かさを取り戻す道はないのである。『経済の現場から統計データで見る インフレ日本の安い賃金』は、日本経済を語るうえで必読の一冊となるだろう。


経済の現場から統計データで見る インフレ日本の安い賃金

【目次】
はじめに
第1章 インフレ日本の安い賃金
―― 強すぎる「高品質・低価格」志向が生み出す「労働力搾取・低賃金」の実態
第2章 統計データが示す「日本の経済・社会の現在地」
―― 安さへの欲求の裏で膨らんだ「貧しさ」を読み解く
第3章 「賃金上昇のカギ=付加価値」の解像度を上げる
―― 労働の対価(給与)を上げるための前提知識
第4章 労働と付加価値についての「日本のおかしな思い込み」
―― 現場が疲弊する原因を深掘りする
第5章 日本人の無自覚な「自分の安売り」はどこからきたか
―― 「形のないもの」の価値を正しく見積もるには
第6章 データが示す「日本の豊かな未来」への処方箋
―― 「人の仕事の価値」を正しく捉える仕組みはつくれるか
終章 まずは「適正な取引価格」から始めよう
―― 「対等な取引」と「仕事へのリスペクト」が日本を変える

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