ニューズウィークの今週の特集は「脱原発のコスト」。1年前には時流に乗って「原発はいらない」という増刊号を出したが、私のコラムを毎週読んでいる編集者は、やっと事実に気づいたのだろう。日本のメディアも、見習ってほしいものだ。
記事の内容は、日本の「原発ゼロ」政策が実現不可能な「夢」であること、ドイツの脱原発政策が電力供給の不安と電気代の高騰をまねいて見直されていることなど、常識的な話だが、フィンランドの核廃棄物の記事には疑問がある。
例によって「10万年後の安全」といったフレーズが並ぶが、これは10万年後に放射性物質が地震などで地下水にもれることが心配だという意味だろう。学術会議の報告書も「現代の科学・技術的能力では、千年・万年単位の安全が必要な地層処分に伴う危険性を完全には除去できない」というが、これは目的が誤っている。
Mullerも指摘するように、ほとんどの放射性物質は100年後にはほぼ無害になる。多くの人が恐れるプルトニウムは水に溶けないので、万が一地下水に混入しても人々の口に入ることはありえない。プルトニウムを水に入れて飲んだ場合の致死量は0.5gで、大気中から吸引した場合の致死量0.00008gよりはるかに危険が少ない。その吸引致死量も、たとえばボツリヌスの0.000000003gの27000倍である。プルトニウムが「地上最強の毒物」などというのは都市伝説にすぎない。
核廃棄物は、毒性が減衰するだけましだ。同じように毒性の強いダイオキシンも水銀も砒素も、プルトニウムよりはるかに大量に廃棄されており、こうした有害物質の毒性は永遠に続く。しかし誰も「永遠に安全が必要な有害物質の地層処分に伴う危険性を完全には除去できない」とはいわない。豊洲新市場は、鉛・六価クロム・シアン・ベンゼンなどの埋め立て地の上に建設する予定だ。
もういい加減に、放射能だけを特別扱いして「10万年後のゼロリスク」を求めるのはやめてはどうだろうか。たしかに10万年は長いが、永遠よりは短い。そして10万年後に人類が存在しているかどうかも定かではないのだ。