地方分権は日本再生のもっとも重要な鍵

大西 宏

地方分権は、総論としては賛成の声が多いとしてもなかなか取り組みが進みません。また国民にとっても実感してイメージしずらい課題だけに票には直結せず、各政党が掲げる政策の課題の優先準位が低くなってしまっています。しかしようやく、維新の会やみんなの党、また石原新党がどうなるかはわからないにしても、日本の政治の大きな課題であることを主張する流れが生まれてくるようになりました。

さて、国政から視点を変え、こんな企業を考えてみるとどうでしょう。売上規模がおよそ二倍になり、しかも事業分野が多岐にわたって広がってきたある会社が、それぞれの事業分野の経営を独立させず、なにもかも本社が絡まないと物事を決められない経営体制のままで本社人員を減らしていけばどうなると思いますか。
さらに経営陣はころころと変わるばかりか、経営権の争奪戦に汲々とするようになり、また時代の変化が激しいというのに、本社スタッフが過去からの引継いできた仕事をやり遂げることを本分として、またそれぞれの事業部門が抱えている経営環境がいかに異なってきたとしても公平性を保とうと、一律のルールで決裁を行い、予算配分を行なっていたらどうでしょう。そんな会社に投資してみようと思いますか。

日本はその会社とまったく同じ状態に陥っています。たとえば1980年からGDPはほぼ二倍近くになったにもかかわらず、国家公務員の人員はむしろ減少してきています。国立大学の法人化で12.6万人、郵政民営化で25.4万人減を除いてもです。
しかもその当時までは、製造業全盛時代で、製造業が伸びることで日本は豊かになってきていたのですが、その後はデジタル革命の進展や、経済のサービス化が進み、産業も高度化や多様化が起こったばかりか、人口問題、また都市集中化や地域経済や地域社会の疲弊、また財政の悪化など政治が解決しなければならない課題も生まれ、課題が複雑化し、また多様化してきました。
それは官僚が抱える課題も増えたことを意味します。しかし官僚の人たちの仕事に画期的な革新が起こり、効率化したわけでないとすると、仕事の質が劣化してくることは自然な成り行きです。

もう行政機構が、時代の変化、時代の要請に応えきれなくなっていると考えるのが自然です。当然、重要な課題があっても、取り組むことをしたがらないのもよくわかることです。石原元都知事が昨日の報道2001で、中央官庁が動かない、動きたがらないとしきりにぼやいていらっしゃいましたが、それは官僚の人の資質もさることながら、もう企業で言うなら経営体制、国で言うなら統治体制が機能しなくなってきているということでしょう。

もっとも大きな変化で見逃せないのは、デジタル革命がもたらした変化だと思います。日本はそれについていくことに遅れました。デジタル革命は、堺屋太一さんはじめ多くの人が指摘してきた『知価革命』を現実のものとしました。稼ぐ主役が、製造業の時代なら『製造設備』でした。またそれを支える労働者でしたが、『知価革命』の時代がやってくると、『製造設備』からアイデアや技術を生み出す『人』に移ってきたのです。

そしてやっかいなことに、いかにインターネットが発達したとしても、むしろ専門的な知識やアイデアをもった『人材』が集積した企業、また『人材』が集積した都市が競争力を持つようになってきました。農村でもそうです。新しい農法や新しい流通を拓いていくのも結局は『人材』です。

そうなるとどのような産業を集積させて人材を集め、それで国際競争力を生み出す都市づくり、またその都市機能を支える地域づくりが課題になってきます。しかし、一律の公平性を保とうとする中央省庁の仕事は、あちこちの都市に同じような機能をもたせようとして、投資を分散させてしまい、結局はうまくいかなかったのです。ハブ空港やハブ港問題もその典型です。

それを可能にしていくには、それぞれの地方やそれぞれの都市が、自らの死活問題として考え、知恵を出し、特徴や強みを創造していくことにつきます。都市から遠く離れた机上の計画では当事者意識もないままに、抽象的なプランばかりが生まれ、現実にはうまくいかなかったのです。

日本は、資源のない国であり、いかに高い価値を生み出せる国づくりを行なっていくかに政治のもっとも重要な役割があります。そうでなければ、経済が衰退していくことは、国としての原資が減っていくので、確実にやってくる少子高齢化にも対処できないばかりか、国際的な地位も落ち、外交力も弱まって、安全保障も揺らいできます。強固な安全保障はなにも軍事力だけで築けるものではありません。

地方が抱える課題も、地方によって異なります。人口構成も、産業構成も、地域文化も異なります。それらは、それぞれの地方の独自性です。地方のそれぞれが、当事者となって、もう財源も不足し、また課題に対処できなくなってきた『お上』に頼るのではなく、当事者として、自らの独自性を活かして、どうすれば地域経済を活性化させ、また人びとが安心して暮らせる地域づくりが行えるかの『地域経営』を進めることにしか、日本の再生はありえないのです。

そろそろ、橋下市長が主張しているように、国がやるべきことと地方がやるべきことを整理し、国の仕事を絞って、国がやるべき問題はもっとしっかりやってもらわなければなりません。なにもかもやるではなにもしないことと同じです。

一例ですが、医療分野を成長産業としようというのは総論としては正しいとしても、新しい製薬や医療機器の審査の体制は欧米と比べて貧弱そのものです。もっと体制を充実させないと医療分野の国際的な開発競争には勝てないことは誰が考えてもわかることです。

地方主権はなにも抽象的な問題ではありません。自らが自らのことを考え、自らが『経営』していくことが、より確実な地域の再生につながっていきます。上から国をつくる時代はもうとっくに終わっています。それができるほど人には知恵はありません。かつてそれができたのは明治にしても、戦後の復興にしても、課題が単純だったからです。
複雑で、高度化した時代、変化のスピードが激しくなった時代、構造的な課題を抱えた時代は、国民がみんなで自ら問題解決を考えていくことがもっとも日本の潜在力を引き出すものと考えます。

第三極の姿がどうなっていくのかはわかりませんが、ほおって置けば、政権を取りたいがために、票に結びつく課題にしか取り組まないのが政党です。地方分権に真剣に取り組まなければ政権維持ができないぐらいの影響力を、第三極と言われる人びとでぜひつくっていただきたいものです。