日本の大企業の経営者はファイナンスの教科書ぐらいは読んだ方がいい

藤沢 数希

今日は野田首相が衆院を解散するのか、あるいはしないのかが話題になっていた。その影で、筆者はまたひとつ、日本の大企業の不可解な行動を目にした。それは不可解なのだが、日本ではあまりにも頻繁に行われるので、もう誰もそれが不可解である、などとは口にしなくなってしまったことだ。ソニーが転換社債を新たに発行して、1500億円ほどの金額を調達するという。このニュースの何が不可解なのか? ソニーに限らず、日本では実に多くの企業が、公募増資などで株式市場から資金調達しつつ、同時に配当を支払うというなんとも奇妙なことをするのだ。日本の大企業が、こうして証券会社やヘッジファンドの利益を第一に考えてくれるのは、そちら側の人間としては嬉しい限りだが、少しは自分の会社の株主のことも考えた方がいいのではないか、と心配になってくる。


まずは、簡単に株式会社の仕組みを説明しておこう。会社の利益は株主のものである。利益というのは、売上から、原材料などを仕入れた取り引き先への支払いを済ませて(粗利益)、従業員へ給料を支払って(営業利益)、銀行に利子を払い、国に税金をピンハネされた後に残った金額だ(純利益)。これは全額を配当として支払ってもいいし、成長が見込める事業があればそれに投資してもいいし、シナジーを見込んで別の会社を買ってもいい。いずれにしても、株主が一番儲かるにはどうすればいいのか、を考えて何をするのか決めるべきものだ。

さて、ソニーはこの1500億円を、CMOSセンサーの生産設備増強やオリンパスへの出資に使うという。表向きには、新たに事業を拡大するために資金調達する、といったところだが、大幅な赤字を計上し続けており、将来の資金繰りに窮するかもしれないので手元資金を増やしておきたい、といった後ろ向きの理由もあるのだろう。しかし、筆者は、設備投資など、ソニーがどうやって金を使うのか、その良し悪しをここで論じたいのではない。ここで論じたいのは簡単なコーポレート・ファイナンスの基礎について、だ。

ソニーは毎年、一株当たり25円、総額で毎年250億円ほどの配当を払っているのだが、資金が必要だったら、わざわざ証券会社に高い手数料を払って、市場から資金調達する前に、先に配当の支払いを止めるべきなのだ。発行済株式数が増えるので、需給面から株価への下落圧力もかかるし、こうした増資により、日本の大企業は過去にさんざんヘッジファンドにカモられたのだから、なおさらである

証券会社に高い手数料と、ヘッジファンドにいろいろな収益機会を提供しながら、市場から調達したお金を、そのまますぐに株主に配当として配る、という行為をいったいどう理解すればいいのだろうか? 例えば、100億円調達するのにコストが5億円かかるとしたら、資金調達→配当と1サイクル回すごとに、株主の金が5%ずつ証券会社やヘッジファンドに移転することになる。これは株主から見れば、金をドブに捨てるようなものだ。こんなことは5歳の子供でも分かることではないか。何らかの理由で資金調達する必要があるなら、事業を営むのに余分な資金を株主に戻すというアクションである配当をしてはいけないのだ。配当には税金までかかるというのだから、なおさらだ。

1500億円程度の資金調達と、数百億円の配当を同時に実行する、という奇妙な資本政策によって、株主が失う金額はざっくりと言って、数億円から数十億円程度だろう。確かに、本業で何千億円とぶっ飛ばしてしまった後に、こんなちっぽけな金額を気にしてもしょうがない、という気持ちも分かる。競馬場などに行くと、何万円もスッてしまったいい年した大人が、残った少しのお金を何も考えずに次のレースに投じていたりするし、ラスベガスに行っても、大金を無くした後に、いつもならよく考えて使っていたであろう金額がどうでもよくなってしまっているギャンブラーがたくさんいるからだ。しかし、会社の経営とは、こういう数十億円という小さな金額だけど、明らかな間違いはしない、というようなことが大切ではないだろうか。

とはいっても、ソニーのようなメーカーが、この程度のファイナンス理論を理解していない、というのはそんなに責められることではないのかもしれない。我が国の金融界のエリート集団であるメガバンクは、兆円単位の大規模な公募増資をしながら、同時に身の丈に合わない数千億円単位の配当を出す、という奇妙なことをやり続けて、証券会社やヘッジファンを大いに潤してくれたのだから。ソニーやメガバンクの経営者や資本政策の担当者は、まず「サルでも分かるコーポレート・ファイナンス」みたいな一般書を読んでから、ちょっと薄めの教科書にチャレンジするといいだろう。分かっている人が説明すれば、簡単に理解できると思うから、筆者のメルマガを購読すれば、教科書を読んでも分からなかったことを、教えてあげるのもやぶさかではないよ。