「リスク」という概念を知らない日本人 - 『リスクと向きあう』

池田 信夫

リスクと向きあう 福島原発事故以後
著者:中西 準子
販売元:中央公論新社
(2012-11-22)
★★★☆☆


著者は日本の反公害運動の草分けだ。宇井純の弟子で、高木仁三郎などと同じ第2世代である。私も取材したことがあるが、70年代の反公害運動は今よりはるかに困難だった。そもそも公害というのがよく知られていない上に、情報が出てこない。役所も企業をかばうし、民放はスポンサーに遠慮してほとんど伝えなかった。NHKは公害問題にもっとも積極的に取り組み、高い評価を得た。

参議院議員までつとめた共産党員の子として生まれ、マルクス主義の影響を受けた著者は、東大の助手時代に反公害運動に身を投じ、その結果として23年間、助手を続ける(小出裕章氏みたいなものだ)。しかし著者は反対だけでは何も変わらないと気づき、流域下水道に代わって小規模な「いい下水道」を提案する。これが藤沢市などに採用されて、日本の下水道は大きく変わる。

しかし小規模な下水道でも、ごく微量の発癌物質は残る。それをどうしようか思い悩んでいるとき、著者は1987年にアメリカの議会図書館で「発癌リスクの許容度」のデータを見てショックを受ける。それまでの「安全管理」は、死者をゼロにすることが目的で、一定の死亡率を許容することはありえなかったが、これを機に彼女は「リスク」という概念を日本で広めようとする。

しかし反対派は彼女を「体制側に転向した裏切り者」と批判し、離れていった。彼女はその後、横浜国立大学や産業技術総合研究所で、日本で初めて「リスク」と名のついた研究組織をつくり、さまざまなリスクを定量的に調査する。チェルノブイリ事故の現場も調査し、最大のリスクは強制退去による生活破壊だったことを知る。福島についても、放射線障害のリスクはないが、「ゼロリスク」を求める人々が被災者の生活を破壊している。

著者がリスクという言葉をアメリカで発見してから25年たつが、日本ではいまだに民主党から朝日新聞に至るまで「原発ゼロ」を求めている。リスクという概念が理解されない最大の原因は、著者もいうように人々の感情になじまないからだが、日本で特にゼロリスクを求める傾向が強いのは、被害者の顔をして政府にたかる左翼の影響だろう。彼らを駆逐しない限り、日本にリスクの概念は定着しない。