選挙の選択(その4-1)TPP/農業 ― TPP参加で花咲く農業

北村 隆司

日本の農業が求めているのは自由であって、保護ではない。

世界の生活水準が向上している現在、質の高い日本の農産物が世界に打って出れば、農業におけるドイツ車の地位を占める事は間違いない。

そもそも、農業の実力は生産量で測るのが常識で,食習慣の変化で大幅に変わる食料自給率を持ち出して、日本農業の弱さを証明することには無理がある。

浅川芳裕氏はその著「日本は世界5位の農業大国」の中で「日本の農業生産額は約8兆円で、世界第5位と言うれっきとした農業大国であるにも拘らず、農水省は日本の農業は保護しないとつぶれると国民を洗脳するために統計をゆがめてきた」と述べている。


食料自給率の低下は、食習慣の変化に応じて下がると言う事は1960年代の農業白書で、農林省(当時)自らが予測していた事で、浅川氏の主張に農水省が反論出来ないのも当然である。

日本政府のいい加減な食料統計の歴史は古く、吉田茂の逸話に、こんなユーモアがある :
1950年。吉田首相が「450万トンの食糧を緊急輸入しないと国民が餓死してしまう」とマッカーサー元帥に訴えたが、結局70万トンしか輸入出来なかった。

マッカーサーが「70万トンしか許可しなかったが、餓死者は出なかったではないか。日本の統計はいい加減で困る」と苦言を呈すると、吉田はすかさず「当然でしょう。日本の統計が正確だったら戦争などしていません。また統計通りだったら日本の勝ち戦だったはずです」と応え、マッカーサーも大笑いしたと言う。

いい加減な統計もさることながら、日本農業の三悪は何と言っても「農水省」「農地法」「農協法」である。

貿易の自由化が始まった1960年代の日本の工業は、今の日本農業と同じく、多品種少量、小規模企業に加え低品質に悩んでいたが、「技術革新」「合理化」「流通革命」などの手荒な手術を行い自由化に取り組み、日本の繁栄の基礎を築いた。

一方、「これからの日本農業は共同化、資本主義化が必要になる、そのためには農地法の改正も考えるべきだ」と認めながら、既得権者の圧力に負け改革を怠り農業の自立を妨げて来た農水省の罪は深い。
米生産の手厚い保護は、三ちゃん農業(じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん)を生み、地方の過疎化に拍車をかける一方、耕作不適地であった北海道にも米作を広げ、大量の「過剰米」を作り、黄変米や事故米不正転売事件まで起こした悪質な政策である。

農地法は農業を「土地本位制」の利権構造にしただけでなく、耕作放棄地や農業の老齢化を生み、農地を利権化した犯人でもある。

農協法に保護された農協は、「農林中金」の集金マシンとなって一兆円以上の損失を出す手助けをしたり、輸入飼料の割り当てや米穀類の配給機関に成り下がった。端的に言うと、農協は農民を食い物にする団体と言った方が判り易い。

一方、アメリカに比べ鉄鋼生産では10分の1、自動車生産になると100分の1以下と言う惨めな状況で、自由化に踏み切った日本の工業には、貿易自由化とともに海外に進出した日本の工業製品には、安かろう悪かろうと言う日本イメージとの闘いが待っていた。それでも、自助努力で日本の成長を支え、農業補助金を負担して来たのである。

それに比べ、日本農業の海外環境は恵まれている。

「スシ」や「ラーメン」は当たり前として、「シータケマッシュルーム」「ワサビ」「ナッパ」「コーべビーフ」「ワギュー」「キンピラサラダ」などの名前が各国料理のメニューを飾るようになったこの時期は、世界に比類のない高品質を持つ日本の農産物を海外の食卓に出す絶好の機会でもある。

人口の減少と老齢化が最大の敵である農業で、保護をしてまで日本農業を国内に閉じ込めることは農業を殺すにひとしい。

日本農業のモデルとすべきは、サンキストのブランドで知られる「カリフォルニア青果協同組合 」で、日本も各地の特徴のある農産物を広域で縦型統合してブランド化し、内外の市場に進出すべきである。
世界の富裕層は日本の高級農産物を、発展途上国では日本の農業資本や技術の進出を待っている。TPP加盟は、日本農業の活性化と若者の農業復帰を促す絶好のチャンスである。

農業補助に税金を投入する位なら、国土の7割を占める森林の構造改革に本腰を入れ、森林と中間山地の里山化に資源を投入する事こそ、食料自給率、防災、地方格差の改善に役立つ一石三鳥の策である。
日本農業のアキレス腱の人口動態の改善には、一気に移民自由化とまで行かなくとも,就労ヴィザの緩和や農業の二次産業化による国際化が若年農業者の離農を防ぎ、日本農業を再生するキーポイントである。

2012年12月11日
北村 隆司