10年後の世界に思いを馳せる。

松本 徹三

今日は大晦日だから、日常の雑事を忘れて、少し遠い将来の事を考えて見たい。

尤も、10年後の日本の事を考えてみても、あまり大きな変化は見通せないから面白くない。悪いケースでは、遂に長年のツケがまわって財政破綻が起り、多くの人達が惨めな状況に突き落とされている可能性もゼロとは言えないが、平均的日本人はそれ程能天気ではないから、ギリギリのところで立ち直ると思う。逆に、良いケースでは、日本の産業の国際的な競争力低下に歯止めがかかり、これを梃子に若干は経済が上向いている可能性もないとは言えぬが、残念ながら、その具体的な道筋は未だ一向に見えていないので、あまり大きな期待は持てない。

そこで今日は、思い切って視野を広げ、10年後の世界の状況に思いを馳せてみたい。


どう考えてみても、最大の問題は中近東だ。イスラム原理主義の影響力の拡大はとどまるところを知らず、一方、財政の立て直しを迫られている米国は、中近東に関わりあっている余裕がない(オイルシェールの開発で中近東の石油への依存度を減らせれば、「中近東で何が起ってもあまり失うものはない」と考えるに至り、「台頭する中国に魅力的なアジア市場を独占される事の方がより大きな問題だ」と考え始めたのは明らかだ)。

情報技術や宇宙技術の飛躍的な発達で、あまり金を掛けずとも軍事的優位性を保持できる見込みが立ちつつあるので、米国はここ当分は世界秩序を守る為の強い抑止力を維持し続けるだろうが、テロ対策のコストはあまりに高くつくので、イスラム原理主義者との摩擦は出来るだけ避けるようにするだろう。

しかし、そうなると、「後ろ盾となる仲介者」を失ったイスラエルは、自国の存亡をかけて、全てに強硬手段を辞さない方向へと進まざるを得なくなるだろう。既にイランとの関係は一触即発の状態に近くなっている。これは極めて憂慮すべき事態だと言える。

さて、それでは、米国の国内情勢はどう動くのだろうか? 「1%が99%を支配している」と批判された「行き過ぎた金融資本主義」には、今後は何等かの掣肘が入るだろうが、社会全体はあまり変わることはないように思う。

米国は既に多民族国家であり、多国籍企業発祥の地でもある。また、情報産業や金融業は、本来「国境」や「地理的な距離」を意識しない産業である。米国は、北欧や西欧諸国と比べると社会格差は大きい(ジニー係数で言えば20%台と30%台の差がある)が、それが社会不安にいたるまでの事はないだろう。グローバルに見れば、先進諸国と発展途上諸国との格差は米国内の格差とは比較にならない程大きいから、むしろそちらの方に目が向くだろうからだ。

欧州諸国は、表面上の社会格差は少ないが、低賃金で働く移民を排斥する右翼勢力の台頭が常に社会不安の根底にある。また、それ以前の問題として、EU内部での南北問題が、欧州が米国を超える経済力を持つに至る事への足枷になり続けるだろう。という事は、米国は引き続き世界の政治経済の中心であり続けるだろうという事だ。

格差社会と言えば、現時点で「圧倒的な格差社会」となっているのが中国だ(ジニー係数が50%に近いと言われているから、暴動が多発してもおかしくない状況と言える)。従って、この中国が米国と肩を並べる超大国になるまでには、まだ少し時間がかかるだろう。

中国の政治の最大の謎は、「何故際限もなく軍事予算を拡大しようとしているのか?」という事だ。今、世界で中国に軍事的脅威を与えそうな国は何処にもない。その一方で、シベリアに多くの漢民族を抱えているロシアや、中国によるパキスタンへの肩入れを恐れるインド、それに加えて、海洋資源を巡る中国の拡大主義に危機感を募らせる東南アジア諸国や日本は、中国の軍拡には神経質にならざるを得ない。この不安は米国にも波及するから、このままでは中国は世界中を敵にまわす事になってしまう。

中国が軍拡をやめ、その資金を内陸部の経済支援に当てれば、多くの問題が一挙に解決できるのに、何故かその逆をやっているのは、恐らく共産党内部での権力闘争故だろう。軍部を敵にするか味方にするかで大方の権力闘争の帰趨は決まってしまうのが常だから、闘争の当事者は、当然、軍の「自己増殖本能」に迎合しようとする。

これまでは、国家主席を退いた後も軍のトップに居座り続けた江沢民がこの力学を支えていたわけだが、新体制下ではこの力学構造は早晩解消されるだろうから、事態は少しは改善されるかもしれない。日本と異なり、地方政治で実績を挙げ、厳しいトーナメント戦を勝ち抜いていくことを求められる中国の指導者は、基本的に有能でしたたかだと思われるので、私は基本的には新指導者の知恵と才覚に期待している。

さて、それでは、下手をすると「広域的な社会不安」や「軍事衝突」の原因にもなりかねない「世界の経済情勢」はどう動くだろうか? これについては、実は私はそれ程悲観的ではない。問題があるとすれば、インドやアフリカ諸国での「人口爆発」とそれがもたらす食料不安だが、この問題にさえ何とか対応出来れば、そして、中近東等で大規模な地域紛争が起きなければ、世界経済は少しずつ良い方向に向かうだろうと私は思っている。

「良い方向」といっても、私は、先進諸国でも経済成長が続き、上流、中流の人達がそれを謳歌出来ると言っているのではない。そもそも、先進諸国の上流、中流に位置する人達が、これ以上の「物質的な生活水準」を謳歌する必要があるのだろうか? 彼等が追求すべきは、むしろ「精神的な満足」なのではないのだろうか?(現時点では、未だに「金銭で買えるもの」が「精神的な満足や誇り」の源泉になっている人達が多いようだが、一部では既に「価値観の転換」が見られているのも事実だ)

それよりも、私が期待するのは、先ずはBRICsを筆頭とする発展途上諸国での中産階級の急速な拡大であり、これが世界の一人当たりのGDPを着実に押し上げていく事である。

自由貿易体制が続く限りは、どんな国のどんな企業でも、多くの人達が求める製品を競争力のあるコストで作っている限りは、「発展途上地域での中産階級の拡大」は「世界市場の爆発的拡大」につながるから、その企業家精神を大いに刺激される事になる。そして、それが、更なる技術革新や経済発展につながる事になるだろう。

発展途上国の経済がこうして底上げされ、これらの国々の人達の生活に若干の余裕が出来れば、最貧国と呼ばれている国々もその恩恵を蒙るだろう。出稼ぎ労働者の流れが変わってくる可能性があるからだ。

(欧州では、かつては出稼ぎ労働で経済を支えていたポルトガルに、逆にウクライナなどからの出稼ぎ労働者が流入していると聞いた事がある。これは、より貧しい人達が既に貧しい人達の生活を圧迫する「負の連鎖」だが、貧しい人達が少し豊かになって、より貧しい人達に働く場を譲って上げられるような「正の連鎖」も、当然あってよい)

数学者の辻元さんは、「エネルギー資源の有限性故に、上記のような『正の連鎖』は起りえず、世界経済は早晩行き詰まる」というお考えを、アゴラで披瀝しておられたと記憶するが、私は、理論的にはそうであっても、エネルギー資源の有限性が打ち破られれば、そうはならないという考えであり、そして、「エネルギー資源は枯渇しない」という考えだ。

「その根拠は太陽光発電にある」と言ったら、大方の人は嘲笑うだろうが、私は本気である。本気である以上に、実際にその方向での仕事も始めている。私は50年間にもわたり厳しい実業の世界を生き抜いてきており、夢物語には興味はないから、或る程度の成功の確率がなければこんな事はしない。

太陽光発電は一時は大ブームになりそうな勢いだったが、今は多くの人達から冷ややかに見られている。先駆者だったドイツでは、今や「当時の理想主義的な考え方自体が間違いだった」という烙印さえ押されており、欧米でのブームを当てにして大規模な生産設備を作った中国メーカーの多くは、今や底なしの苦境にある。

しかし、何故そういう事になったのかといえば、コストが高すぎたからであり、「そのうちに技術革新でコストが下がる」と言っていた人達は、具体的な根拠なくそう言っていたに過ぎなかった事が露呈してしまったからだ。という事は、もし本当に技術革新がおこり、1KWh当り10円を切るような低価格が実現出来たらどうだろうか? 見える景色は全く変わってくるだろう。

風力や地熱といった他の自然エネルギー技術とは異なり、太陽光発電は「半導体技術」であり、既に証明されている変換技術を「最適の製造設備」で実現すれば、最終製品の発電能力あたりのコストを2分の1にするとか3分の1にするとかの事は、十分可能な事である。化石燃料を使う発電とは異なり、太陽光自体のコストは只だから、所期の設備投資だけを賄えば、ランニングコストは無視できる程度に抑えられる。

発展途上国では発電所の建設地の選定は容易ではない。化石燃料を運び込む輸送費がバカにならない上に、発電した電力を需要地に送るのがまた大変だ。しかし、太陽光発電なら、需要地に近いところで発電して「地産地消」出来る。

経済発展のもう一つの足枷となるのは水資源だが、安価な電力が豊富に供給出来るなら、「逆浸透膜による海水淡水化」は大いに経済合理性を持ちうる。海岸沿いに砂漠や荒地が広がる地域は世界中に嫌という程あるが、ここで太陽光発電を行い、淡水化された海水を引いて先ず広域をカバーする防風林を作り、この中で水耕栽培等による農業を大規模に展開すれば、最貧国を堂々たる中進国に転換させていく事も夢とはいえない。

そもそも、ドイツ流の「心優しい自然エネルギー政策」には、私は始めから疑問を感じていた。地球環境に配慮しても自国経済をあまり損なわないドイツのような先進国が、率先して自然エネルギーへの転換をやってくれたとしても、経済力に余裕のない発展途上国はその後には続けず、従って、地球環境にはほんの僅かばかりの改善しかもたらさないからだ。

BRICsを始めとする発展途上国に本気で取り組んでもらうには、一にも二にも「経済合理性」がなければならない。つまり、「太陽光発電は総合的に見ると化石燃料による発電より安くつく」事を証明するしかないのだ。そして、私は、それは必ず出来ると信じている。

なお、そんなに沢山の太陽光パネルを作ったら、「施設場所はともかくとして、原料のシリコンが枯渇しないか」と心配する向きもあるだろうが、その心配は不要だ。新技術の薄膜方式なら、シリコンの使用量は旧来方式の20分の1から50分の1で済むし、原料のシリコンは地球上の至るところで産出するので、仮に人類が使う全ての電力を太陽光パネルで賄ったとしても、なお枯渇する事はないという計算になる。