高齢化=人口オーナスは運命か?

田村 耕太郎

正月早々の池田信夫氏の投稿は読み応えのあるもので、共感を覚え、そして非常に考えさせられた。その中で考えたのは「日本は人口オーナスを人口ボーナスに変えるしかない」ということだ。


一国の人口構成で、子供と老人が少なく、生産年齢人口が多い状態のことを人口ボーナスという。豊富な労働力で高度の経済成長が可能な状態といえる。一方、高齢人口が急増する一方、生産年齢人口が減少し、少子化で生産年齢人口の補充はできず、財政、経済成長の重荷となった状態のことを人口オーナスという。

日本は超高齢化社会(国連の定義で高齢者の比率が人口の14%を超えた状態)にあり、それが進行中だ。つまり、定義的には人口オーナスの状態にある。しかし、この「人口ボーナス」「人口オーナス」の議論は単純すぎると思う。

まず人口ボーナスだが、若年人口が急増していることは常に幸運なことではない。その若者たちに雇用を提供できれば素晴らしいが、その若者たちに仕事を作れなかったらそれは深刻な問題になる。歴史を見れば、社会の不安定は常に若者の失業から起こっている。近年でいえば、チュニジアやエジプトから起こったアラブの春がいい例だ。テクノロジーの進化とその価格低下が新興国でも若者の雇用を奪いだした。今の新興国は過去の途上国と違い、”テクノロジーを持った三丁目の夕日”の世界だ。ロボットとICTが単純労働を奪っていくことは十分考えられる。

一方で高齢化は人口オーナスで潜在成長率が下がり、負担は増え、暗いことばかりなのだろうか?私は、このままいけばそうだが、われわれが英知と勇気を結集させれば、高齢化を明るく活力ある時代に変えられると思う。

その前にまず「高齢化社会」は我々の努力の結果だと言うことを認識すべきだ。様々の問題も起こるが、人類は古代からの願いであった長寿を獲得したのだ。中でも日本は寿命を世界有数の長さに伸ばすことに成功した。これは素晴らしいことだ。

その前提に立って繰り返すが、「人口オーナス」――高齢化すると成長力が落ちる――は絶対に避けられない運命論ではない。高齢になっても働き続けるのなら、その人は、実際は生産年齢人口に属するのだ。

そんな人が増えれば、その国の「人口ボーナス」は長期化できる。生産年齢人口が15~64歳、高齢人口が65歳以上というのは、国連の定義に過ぎないのだ。

要は人口オーナスを人口ボーナスに変えられる社会構造にしていけばいいのではないか?個人差はもちろんあるが、概していえば、若年層に比して、高齢者は経験も資産も人脈も持っている。医学やフィットネス含めたコンディショニングの進化で、健康寿命の増進し、健康度でも若者に劣らない高齢者も増えている。

世界で最も高齢化が進んだ地域、鳥取県、出身者として具体的にその手法を提言・紹介していきたい。