先日、あるカウンターバーで面識のない台湾人から声を掛けられひょんなことからアップルの株価談義に発展してしまいました。氏は為替のプロのトレーダーという立場で株とは生きている世界が若干違うものの発想の着眼という点に注目していましたが、私は納得できず、悪酔いしそうでした。
私はアップルの株は基本的に売りだと思っています。手がけていないのでデータを舐めるようにみた上での判断ではないのですが、もはやドキドキさせないという点でバリュー株へシフトしていくと見ています。圧倒的なイマジネーションとカリスマ性で驚きと非常識感がアップルをあそこまで成長させてきたとすれば今の経営はあまりにも当たり前になりつつあり、普通のよく出来た会社へと変貌しつつあるということです。つまり、天才型から秀才型への移行でしょうか?だからアップルの夢を追った人たちは必ず違う夢を求めて去っていく、という簡単なロジックです。どんな難しい数字を並べられるより心理に訴えるものは大きいものです。
私は今、ある変化に挑戦するか、大きな岐路に立っています。自分を取り巻く仕事の環境はこの数年間の守り主体の経営でかなり強固な足場を築いたと思っています。今後この苦労した数年の努力に甘えれば多分一定の果実は必ず期待できます。しかし、私の人生において決まった量の果実の収穫が楽しいのだろうかと考えた時、後悔するだろうと信じています。それは自分の人生でハッピーで楽だったことは全体の2割で残りはもがき苦しみながら着実な成長と変化に邁進していたからです。
夢を追うものは立ち止まることはありません。そこに安泰とすることなく、また人生の冒険に出て行きます。私の知人で若い時クルーザー一人旅で日本からニューヨークまで旅した方がいます。その彼は今や60代なのですが、私と会うたびに何年間も彼の次の夢を語り続けました。「死ぬまでにもう一度、クルーザー一人旅をする」と。その彼は最後の一人旅のために数千万円もするクルーザーを新造しています。
私も食事を忘れるほど久々に熟考を続けたましたが、立ち止まる自分は自分の人生の履歴にはなく、人生後半戦に入った自分が活力みなぎり新たなる挑戦をし、いきいきとすることが最適の選択であると結論付けました。何に挑戦するかは相手があることなのでここではまだ書けませんが、それなりのものだと申し上げておきましょう。これにより自分の立ち位置もライフも変わるかも知れません。ですが、自分の中でそういう結論まで到達できたことにある意味ほっとした気持ちがあります。
私にとって昨年は紆余曲折でしたが、しがらみから抜けだして新たなる道を歩む準備はできたような気がいたします。
変化と成長を求めるそんな私にとって今のアップル社はあまりにも優等生になってしまい、巨大組織の塊のようにしか見えなくなってきたのです。それは多くの日本の企業もそうでしょう。それに比べて20代、30代の若手起業家がIPOを通じて大きく育っている姿の方が私にはとても刺激的なのであります。
気持ちは若く保つ、ということでしょうね。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年1月13日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。