体罰や怖い先生よりも生徒に必要なのは新しい自分の居場所だ

松本 孝行

桜宮高校の事件、そして大津市のいじめ自殺の件など日本の教育に関する事件や問題が多発しているように感じます。アゴラでも体罰についての議論が盛んに行われています。

さて体罰というと特に直接的に殴られたりした覚えは小中高とありませんが、中学の時に怖い先生がいました。運動会の練習でうまくできないと、太鼓のバチを投げるような先生です。私の通っていた学校は普通の公立中学で、不良学校ではありません。

そんな怖い先生が母校を去ったとき、私の母校は不良が増えて荒れたと地域で言われるようになりました。


私が中学にいた頃はすごく生徒たちも真面目で、問題なんてほとんど起こるようなことはありませんでした。小さな喧嘩などはありましたが、不良生徒が暴れたりすることもありませんでしたし、モンスターペアレントのような人たちも聞いたことがありません。また、学級崩壊のようなことも起こらず授業も滞り無く行われていました。

しかしこの怖い先生がいなくなったことで、不良が増えて地域で一番荒れている学校といわれるようになったそうです。学級崩壊のような状況にある、という噂も聞いたことがありました。結果的に怖い先生がいたことで、そういった学校の荒廃を防いでいたのでしょう。

これは私も当時も感じますし、今も思っています。怖い先生は学校内の治安維持には役に立っていると思います。怖い先生がいなくなって母校が荒れてしまったことを考えても納得が行くところです。ただ、怖い先生がいたらすべてOKなのか?と言うとそうではなかったように思います。むしろ大変マイナス面も大きかったと感じています。

一つが不良の生徒たちにとってマイナスでした。彼らは学校に来ることがほとんどなくなりました。私は比較的誰とでも仲良くしていた方だと思いますが、彼らをあまり学校内で見かけなかったのです。おそらく不良の彼らは居場所がなくなったのでしょう。隠れて体罰が行われていた、という話も聞いたことがありますし、学校に行きづらくなったのだと思います。

もう一つが真面目な生徒に対して恐怖感を植えつけたという点です。真面目な生徒からしてみたら、こういった先生は怖い先生で害悪でしかありません。ちゃんと勉強したいのにガーガーとうるさいし、彼らのせいで1時間2時間と放課後にクラス全体の連帯責任ということで居残りさせられて、無駄な時間を過ごしたりします。生活指導の必要がない生徒にとっては嫌な存在だったでしょう。

私の体験談でしかありませんが、怖い先生は確かに学校全体の治安維持には役立つと思います。しかし個々の生徒にとっては、デメリットが大きすぎるのではないかと感じています。特に不良の生徒は全く救われませんでした。言葉だけで脅しても、体罰をしていたとしても違いはなかったでしょう。彼らは怖い先生によって居場所を奪われたのではないか、そう思っています。

アメリカではフリースクールのような仕組みがあって、銃を持ってきたとか乱闘騒ぎを起こしたという生徒はまた別の居場所が用意されています。こちらの記事や映画「プレシャス」などにも出てくる、特別なクラス・学校です。こういった仕組みがベストかはわかりませんが、少なくとも不良生徒の居場所になるチャンスはあったと思います。

体罰の問題にしてもいじめの問題にしてもそうですが、その学校内だけで何とかしようと考えすぎなのではないかと思います。自殺した生徒も彼のレベルに合ったバスケットボールチームが外部にあれば、そこに居場所を見つけられたでしょう。大津市のいじめ問題も、自殺した生徒がアメリカのフリースクルーのような所で同じように勉強出来れば、解決策があったかもしれません。

日本は閉塞感があると言われていますが、現状の教育に関して生徒たちも閉塞感を感じているのではないでしょうか。そんな彼らが真に必要としているものは、体罰でもなければ土曜日の授業復活でもなく、新しい自分の居場所なのではないでしょうか