「おそるべき絶倫情愛老人」あなたは渡辺淳一とどう向き合うか

常見 陽平

「今日もすごかったな・・・」

新年早々、桃色の波紋疾走(オーバードライブと読むこと)の毎日だった。何がすごいかというと、渡辺淳一氏の日経「私の履歴書」である。「赤裸々」では足りないほどの悶絶する内容の連続だった。一方でこの連載を通じて渡辺淳一氏は何を伝えたかったのだろう。首をかしげてしまった。


ちなみに、渡辺淳一氏は私の母校、札幌南高校の先輩だ。1992年の春頃の出来事を強烈に覚えている。当時、私は高校2年生だった。図書館の企画で、図書館委員の生徒2人が、渡辺淳一氏にインタビューしたのだ。そこで、生徒は作品の中で出てくる図書館での密会について質問したところ、渡辺氏は「ああ、私は当時、図書館でよくそんなことをしていたよ」と実に気持よく語っていたのだった。ややエロスを感じる内容だったが、そんなインタビューが載った会報誌が全校生徒に配布された。懐かしい。

そんな思い出話は、いい。

渡辺氏の「私の履歴書」だ。

彼が日経の文化面に出るたびに、株価が回復するという説もあるが、ここではそれも置いておこう。

彼は、私達に何を伝えようとしたのだろう?

そんなことを考えてしまった。

いい子ぶるつもりはないが、31日間の連載中、何度か激しい怒りがこみ上げてきたことがあった。なぜ、中絶体験をあそこまで具体的に書く必要があるのか。その出来事に対する敬虔な反省をもったわけでもない。「愛人に浮気がバレる」という記述には、頭がこんがらがってしまった。しまいには、愛人宅のドアのチェーンを切ろうとして逮捕されるという事件まで紹介されたのだが、取り調べの際に「渡辺淳一、作家だ」と語ったところ、知らない様子だったので、もっとビッグになろうと思ったとか・・・。

いちいち、「自分は悪くない」「ビッグになってやる」という話だった。

逆にそこがわかりやすかったのだが。

毎日、「しょうもないな」と思いつつ、1ヶ月読んでしまった。

そんな私の履歴書だが、昨日、友人たちの間で議論されたのは、「果たして、明日、ちゃんと終わるのか?」という件だった。1月30日時点でまだ人生の半分も終わっていない状態だったのだ。

激論がかわされたが・・・

ここまで、「私の履歴書」を書いてきたが、ここから先は、改めて書くまでもない。

なぜなら、これ以降のことは、このあと書いたわたしの作品を読んでもらえば、ほぼわかるからである。その意味では、わたしは私小説作家であるのかもしれない。
(日本経済新聞 2013年1月31日朝刊 「私の履歴書」より)

という最終鬼畜兵器フレーズで突然の終わりを迎えた。

しかも・・・。

実際、今、わたしはインポテンツをテーマに小説を書いている。

これは、わたしが70代に入ってから実感したことで、当時のわたしに、もっとも重く突き刺さった問題であった。

幸いというべきか、残念というべきか、このテーマを直接書きこんだ作家は、日本や西欧にもあまりいないのではないか。

今、わたしはこのテーマを書きながら、人間、そして男と女について根底から考えこんでいる。
(日本経済新聞 2013年1月31日朝刊 「私の履歴書」より)

という、自らのお盛んぶりを、高らかに宣言しているのである。

張本勲風に言うと「あっぱれ!」ということになるだろうか。いや、私に言わせると内容は「喝!」だったのだが。

さて、本題に戻ろう。

渡辺淳一氏は我々に何を伝えようとしたのだろうか。

人生には愛が必要だということ?

自分に正直に激しく生きるということ?

男はしょうもないということ?

個人的に言うならば、何かよくわからない、エネルギー、パワーを感じたことは評価しておこう。

女性に対してしてきたひどいことは反省した方がいいと思うのだけど、それは愛なんだ、という話になり正当化されてしまうのかな。

さて、渡辺淳一氏は今後の人生で我々に何を残してくれるのか。

激しく傍観することにしよう。