峯岸みなみはバイソン木村を超えた? AKB48とはプロレスであり、ブラック企業であり、昭和の男社会である

常見 陽平

時代は、峯岸みなみの丸坊主である。アントニオ猪木のベロ出し失神事件以上の衝撃的な光景だった。

改めて確信した。今回の件は、プロレスである、と。髪切りというのは、昭和的な責任の取り方、敗北の象徴であるということを。AKB48とは昭和の男社会だと。そして、私たちはまだ昭和にしがみついている、と。プロレス者(ぷろれすもの)として、徒然なるままに語らせてもらう。


■プンプンするプロレス的なにおい リスク対応のプロが絡んでいる?
まず、今回の騒動の見解については、私はこちらで書いているので、ご覧頂きたい。

峯岸みなみ丸坊主謝罪報道で考えた普通のサラリーマンの責任の取り方
http://www.s-shiori.com/con3/archives/2013/02/post-199.html

この件に関する他の方の論をほぼ読んでいないのだが、ここでは前のエントリーの延長線上で、責任と敗北の象徴としての髪切りという行為について考えたい。

今回の件について、私はとてもプロレス的な予定調和の匂いを感じている。

普通に考えて・・・。
・責任感じているんだったら、ちゃんと周りに相談してから髪を切るべき(例えば、CMのクライアントなど関係者筋への影響はどう考えるのだろう)。
・それが公式に載っているとはどういうことだろう。
という疑問がわく。

今回の坊主頭の破壊力は抜群で、そもそもどんな問題の責任をとったのか忘れてしまうほどである。

ちょうど、体罰などが話題になっていたタイミングであり、坊主頭で反省というのは、時代のコンテキストを読んでいる気がしてならないし、それを峯岸みなみ一人で考えたとは思えない。まして、衝動的な行動だったようにも感じない。うがった見方をするならば、裏で絵を描いているリスク対応のプロが存在するのではないかと考えてしまう。

一般論として。

■恋愛禁止という茶番 髪切りの価値を下げるな 「泣くな、バイソン!」
LOUDNESSのボーカリスト二井原実氏のブログで話題で知ったのだが・・・

けじめのつけ方。
http://blog.goo.ne.jp/m-niihara/e/a52ea5a4d3f7248be579c2386b6ba1ca

山本太郎氏はテレビでこうコメントしたらしい。

「恋愛の反省を丸坊主で? ケジメの取り方ハードル上げすぎだろ。次に恋愛発覚した人は、指でも詰めるのか?」

激しく同意である。

そもそも恋愛禁止ということ自体、いまだに納得がいかない。中学校や高校の校則でいくら不純異性交遊が禁止されようとも、皆、誘惑の甘い罠にはまるものである。

愛は心の仕事ではあるまいか。

世界は愛で動いているのだ。

ぜひ、AKB48のメンバーは、先月の日経の「私の履歴書」渡辺淳一を輪読して頂きたい。いや、渡辺淳一氏を擁護するつもりはまったくないが、人々は愛に生きているわけである。

そして、バレたメンバーだけが糾弾、弾劾されるのもおかしな話である。1匹いたら30匹というゴキブリ理論からするならば、峯岸みなみのお泊りは氷山の一角であり、こうしている今も、誰かと誰かが愛し合っている可能性はある。

故・忌野清志郎に「愛し合っているかい?」と叫んでもらいたいところである。

さらに、プロレス者(ぷろれすもの)として、コメントさせて頂きたい。

髪とは神聖なものなのである。

私が「髪切り」と聞いて思いだしたのは、プロレスラーのジャガー横田、アジャ・コング、バイソン木村、長与千種、山田敏代、藤波辰爾といった面々だった。横田、アジャ、木村、長与、山田は髪切りデスマッチを体験している。アジャ・コングの「泣くな、バイソン!」は歴史に残る名セリフである。藤波辰爾は、飛龍革命を起こすべく、猪木に髪切りアピールしている。

峯岸みなみの坊主は、責任の象徴とも言えるが、髪切りという行為の価値を一気に下げたとも言えるのだ。

この映像を見た、バイソン木村ら、女子プロレスラーは悲しんでいることだろう。

いまこそこう叫ぼう。

「泣くな、バイソン!」

■AKB48はやりがい搾取ブラック企業であり、昭和の男社会である

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

もう一つ気になったのは、峯岸みなみのセリフである。AKB48のメンバーであり続けたいというアピールである。

複雑な心境になった。まるで、ブラック企業で働く社員のようだったからだ。劣悪な環境で働き、企業からこき使われつつも、「仕事が楽しい!」「すべて、私が悪いのです」などという言葉を連呼する、ブラック企業そのものの臭いを感じた。

なお、ブラック企業論についてはこの『ブラック企業』(今野晴貴 文春新書)は傑作なのでぜひ手にとって頂きたい。

彼女ほどの人気があるなら、AKB48を辞めても、そこそこ食べられるだろう。恋愛だって出来る。

そこまでしがみつかなければならないAKB48とは何なのだろうか?


自由な働き方をつくる 「食えるノマド」の仕事術

私が最新作『自由な働き方をつくる』で提唱したように、「地に足のついた、自由な働き方」を模索してもいいのではなかったか。

また、ここに感じてしまうのは、昭和の臭いである。

先日、白河桃子氏、水無田気流氏、西森路代氏と開催した「日本女子学サミット」でも話題になったが、AKB48は男性社会、しかも、昭和のそれの臭いがぷんぷんする。

このエントリーにも書いたが・・・
「JKT48は昭和のモーレツサラリーマンである 働き方の多様性を認めよ」
http://newsdig.jp/w/8378
社則にしばられ、競争させられ、転勤、左遷、更迭まであるAKB48は昭和の男性社会そのものである。また、セカンドキャリア支援という意味でもまだまだこれからである。

しかし、その昭和のアナクロな臭い、数々のハプニングにカタルシスを得ているのだろうけど。

というわけで、プロレス者として、今回の件にはプロレス臭、ブラック企業臭、昭和臭を激しく感じるのである。

峯岸みなみには、今回の反省の仕方を、反省してほしい。