これは嘘である。本書も指摘するように、インフレで実質賃金は下がるのだ。インフレは労働者をだまして賃金を下げ、企業収益を上げて景気をよくする、というのがリフレ派の主張だ。しかし吉川洋氏も指摘するように日本の名目賃金は下がっているのだから、インフレにする意味はない。だから「インフレで景気がよくなる」というのも「格差が縮小する」というのも嘘である。インフレは労働者から企業への所得移転によって格差を拡大するのだ。
こういう嘘だらけの議論を政治家が好むのは、不景気を日銀のせいにできるからだ。選挙区で「景気がよくならない」といわれたら「政治はちゃんとやっているが日銀が緩和しないからデフレが止まらない」と言い訳できる。財政政策には金がかかるが、日銀を脅すのはタダだ。TPPに参加すると農協が怒って票が減るが、日銀はいくらたたいても抵抗できない。
彼らは日銀がどうやってインフレを起こすのかは知らない。馬淵澄夫氏は「金利が上がったら設備投資が増える」と信じ、安倍首相は「1万円札を印刷したら政府が9980円もうかる」と信じている。このように政治家にはいつもお札を印刷して財政赤字を埋める誘惑があるから、中央銀行の独立性が保証されているのだ。
政治家が日銀バッシングをするのは合理的だが、日本の特異性は彼らを応援する自称エコノミストがいることだ。10年以上前に日銀が量的緩和を始めたころは学会でも討論が行なわれたが、いま普通の経済学者でリフレを主張する人はいない。いまだに壊れたレコードのように同じ話を繰り返しているのは、浜田宏一氏のような旧世代のケインジアンと片岡氏のようなアナリストだけだ。
アナリストはインフレが好きである。金融緩和で相場が動くともうかるので、アナリストには(政治家と同じ)インフレバイアスがあるのだ。彼らにとって一番困るのは、物価が安定して相場が動かないことだ。インフレが結果的には金利上昇や財政破綻をもたらすとしても、彼らがその責任を負うわけではないから、アナリストや評論家はつねに「緩和が足りない」と叫び続ける。
本書も指摘するように、リフレ派の議論の最大の欠陥は、どうやってインフレが起こるのかを説明できないことだ。金利はすでにゼロになっているので「期待」に期待するしかないが、期待は実現しなければバブルになって大惨事をもたらす。期待だけでインフレが起こったことなんて一度もない。リフレは笑い話としてはおもしろいが、ヤバいのは政権がまじめにそれを実行しようとしていることだ。