中國人を愛せなければ、尖閣は守れない

矢澤 豊

山口巌氏のエントリー「中国海軍による海自護衛艦へのレーダー照射事件と望まれる今後」を読み、その結語に至りたまげてしまった。

「蛇足かも知れないが、未来ある若者は決して中国等には関与すべきではない。人生を棒に振る事になるからである。」

私はいまこそ有為の青年は中國を研究し、中國に関わるべきだと思う。

真珠湾以前、アメリカ人は日本に対し比較的に無知であった。「日本人は総じて近視だから飛行機操縦に向かない民族だ」などという非科学的暴言が幅を利かしていた。しかし開戦をきっかけに国家プロジェクトとして日本研究を急務とし、その成果が占領政策のバックボーンとなったことは、読者諸賢においては常識だろう。

ひるがえって日本では開戦後、欧米文化のすべてを否定し、敵国の研究を怠り、敗戦への道をひた走ったのだ。

俗に「友は身近に置け。そして敵はより近くに。(Keep your friends close and your enemies closer.)」という。日本人は過去の誤りに学ぶべきだ。

山口氏の発言は一日本人というレベルにおいても問題視されるべきだと思う。

火器管制レーダーの照射という、いわば抜き身の刃の下に自衛隊や海上保安庁の士卒をおくりだしながら、国民ひとりひとりは我が身愛しさに「関与せず」という姿勢をとるべきだというその卑怯を、山口氏はうしろめたくは感じないのだろうか。国家の盾に隠れて自らはひたすら安逸を貪る。これは日本人としての根本的美徳と価値観を、損得勘定の下にしたり顔で否定する行為だ。

もっとも山口氏の結語は、安易な「中國ブーム」に走る若い人への親切心から「筆がすべった」結果のようにも思える。私個人としても、氏の常日頃からの主張には同意する部分も多く、「アゴラ」の常連執筆者の中で、コンスタントに読む価値のある文章を紡がれ正論を開陳されている氏への個人攻撃をこの紙上で行うことはもとより私の本意ではない。

私個人としては、当エントリーのタイトル通り、「中國人を愛せなければ、尖閣は守れない」と信じている。

ようするに、日本の安全保障を「アジアの平和維持」というプリンシプルの延長線上におかなければ、世界がついてこない。世界の支持が得られなければ、日本の主張も通らない。

選挙向けのリップサービスなのか、本音なのか定かではないが、こと安全保障問題となると、勇ましいことを口にする政治家が目立ってきたが、いやしくも国政にたずさわろうというのであれば、より高い視点と大きなヴィジョンをもってもらいたい。

すでに英語圏メディアの世界では親中派の切り口として、領土問題に関する日本の外交上の主張とスタンス(これをナショナリズムの擡頭と彼らは説明する)は、日米安全保障条約のもと、アメリカをアジアの戦争に巻き込むものだ、という論調がみうけられる。

オポチュニストな「議員センセー」たちが、無知蒙昧な愚民どもとタカを括った一般選挙民むけにタカ派のポーズをとるのもたいがいにしてほしい。世界の一員として我が国が担うべき「平和維持努力」ということを置き去りにしては、日本の世界的地位の低下を自ら招くことになる。

以前のエントリーでもとりあげたが、アジアの平和のためにはは、13億人の中國人が幸福でなければならないということは自明の理だ。中國人の不幸と失敗の上に立脚した日本の幸福と成功などというものがあるとしたら、それはきわめて危うい状況だということを、日本人は自覚しなければならない。

幸か不幸か、中國の現在の政情と国家統治のシステムは、中國人の幸福を保障担保するにはほど遠い状況だ。なにしろ一説によれば1800億ドルが国庫から海外に不正流出しているというお国柄なのだ。

日本人としては、領土問題の緊張をあおる現中國政権の態度が、いかにアジアの人々の脅威となっているか、そして中國人の真の幸福を妨げているかということを世界に、そして中國人たちにむけてアピールしなければならない。そしてそうした日本人のメッセージが届くためには(かの國の古人は「赤心を推して人の腹中に置く」と言ったが)、中國人を愛せなければならない。

政情不安や、貧富の格差、環境汚染などといった現代中國人と中國社会が抱える諸問題をとりあげて、「ザマミロ」などと思っているようでは、ハナからダメだということだ。

盲目の中國人人権運動家の亡命をアメリカが受け入れたというニュースが流れた去年の春、親しくさせていただいている中國人の友人はこう言った。

「中國人はアメリカを嫌ってはいても、アメリカのプリンシプルに基づいた外交姿勢には一目置いている。アメリカの主張は中國人民にとって理にかなっているからね。それに引き替え、日本政府は中國人がさわぐと、中国政府をなだめてこれにに対して譲歩するという失策を続けてきた。中國人にとって中國政府、そして中國共産党とは決して自分たちを代表する存在ではないんだ。日本はもっと中國人民の側に立った外交姿勢を示すべきだと、私は思うね。」

いままで日本の対中外交に重きをなしていた、いわゆる「チャイナ・スクール」という外交官集団は、中國政府と中國共産党に対してパイプを有する、いわば日中政府間における危機管理集団だった。しかし今、この緊迫した日中関係の中でより長期的展望に基づいた外交の大道を模索するためには、日本の外交官僚たちは、身に染み付いた臆病を脱ぎ捨て、より大胆な政策策定をする勇気を持つべきだろう。そして日本の政治家においては、安易なポピュリズムに堕落することなく、より細心な言動をとることが必要とされている。

それにしても現場で独断でレーダー照射の蛮行に及んだと言われている人民解放軍海軍の司令官は、日清戦争における李鴻章の負け惜しみを知らないのだろうか。

「北洋一隅の力を以て、倭人全国の師(軍隊)を搏(う)つ。自から逮(およ)ばざるを知る」

ここまで言い始めると歴史オタクの趣味漫談になってしまうので、最後に太平洋戦争の開戦の熱狂の中で、意志と展望を高く保てた当時の三菱財閥総帥、岩崎小弥太のエピソードを紹介して、筆をおくことにしよう。

「1941(昭和16)年12月8日、日本海軍のパールハーバー攻撃で、日本は太平洋戦争、つまり第二次世界大戦へ突入した。2日後の12月10日、小彌太社長はのちに有名になった社内訓示をした。自分はこれまで種々意見を言ってきたが、国家の方針が決まった以上、国民としての義務を果たすため全力を尽くす。ただこれまで事業上のパートナーだった英米の旧友との友情を忘れるな、という内容だった。国全体が開戦のニュースに興奮している最中に、このような冷静で大局的な考えを述べたことは、幹部たちに深い印象を与えた。さらに、小彌太はアメリカの提携企業だったウエスチングハウス電機とアソシューテッド石油の両社の三菱内部における投資を適法に保護することを指示した。」