改めて、池尾和人先生のエントリーは何度読んでも勉強になるなと思った。
それに刺激を受けたわけでは無いが、私のエントリーの貢献について考えた。ひとつは、今を消費することを重視するものであることだが、もう一つは、議論が破綻していても構わないから、新しいアイデア、発見をアゴラに書く中で見つけようというものだ。
今日も挑戦してみたい。
池田信夫氏は、インフレが起きるプロセスがブラックボックスであるという批判をし、ミクロとマクロのギャップを指摘している。リフレ派にはマイクロファウンデイションがないと批判している。そして、吉川洋氏の本や、その他の基礎となる文献をリストアップしてくれている。 役に立つエントリーだろう。
池田氏は、もっと単純にtwitterではミクロとマクロのギャップを指摘しており、また、インフレになったら自分は消費を減らすと主張している。これを池尾先生は、インフレと期待インフレの違いは重要と補足的なコメントをしている(ただ、それを超えて、この記事は有益なので是非読んで欲しい)。
例えば、インフレになると実質所得が減るから、消費を抑制するという議論と、期待インフレ率が上昇し、足下のインフレがまだ始まっていなければ、先に買っておくのが得だ、ということで駆け込み需要が起こる、という議論は矛盾しない。
しかし、問題は、期待インフレ率が上昇したとしても、消費は減る、というのが私の考えだ。理由は二つ。
駆け込み需要の反動は大きく、期待インフレ率の上昇に反応できる経済主体は限られており、財産制約がない、金持ちに限られるから、広がりは限定的で、制約がある人々が駆け込み需要をした場合には、期待インフレが実際のインフレとして実現した後の消費は、駆け込みで増えた分以上に落ち込むので、トータルの消費は減ると言うことだ。
この理由は、後悔理論であり、人間は後悔しないように行動するからだ。つまり、駆け込み需要をした人は、駆け込むときに、不必要なものまで買ってしまったり、気に入ったモノで無かったり、あるいは新しい製品の方が事後的に良いモノであったりということを経験し、その後の消費行動は抑制的になる。バーゲンで買いあさった後の後悔と同じだ。
一方、駆け込み需要で買うことが出来なかった、しなかった人々は、インフレ実現後は、急にモノを買いたくなっても、インフレ前に買っておけば良かったと後悔するが、後悔はしたくないので、こんなモノは必要ないと、駆け込み需要をしなかったことを正当化しようとして、消費を我慢する。
この結果、駆け込み需要の反動は、いかなるマクロモデルが予測するよりも大きくなるのだ。
そして、もう一つの駆け込み需要と期待インフレの問題点は、期待インフレの上昇により、駆け込んで買うのであれば、それは消費財では無く、投資財であるということだ。
先日、超高級マンションのリノベーション物件を見学に行ったが、販売業者が驚くほどの売れ行きを見せていた。これは、都心の不動産すべてに当てはまる。超高級物件は、この2年動きが止まっていたが、一気に動き出した。これこそがアベノミクスの影響である。
ポイントは、資産が十二分にあり、いつでも買うべきタイミングだけで買おうとしている経済主体であるということと、もう一つは、資産なので、価格変動が一番重要で、動かないのであれば、焦って買わないが、動くのであれば、いち早く買おうとして、それが買いが買いを呼ぶという展開になっている。
金利上昇期待、期待インフレ率上昇には不動産はぴったりだ。しかし、他の消費は関係ないし、常に所得(お小遣いや生活費の予算)と消費を比べている、予算制約のきつい一般の消費者には無縁の話だ。
さらに重要なのは、ミクロとマクロのギャップこそが、我々が本当に解くべき問題だ、という点だが、長くなったので、次のエントリーに分けることにする。