原子力規制委は原発を危険にしている

池田 信夫

きのうの原子力村シンポジウムは、「活断層、新安全基準、規制委員会の重大問題」という地味なタイトルなのに3万人以上のアクセスがあった。そのとき最初のキーノートで話したことを補足しておこう。

キャプチャ


現在の原子力産業の問題をregulatory captureととらえる国会事故調の批判はナンセンスである。ゲーム理論的にいうと、captureが起こるのは環境省と公害企業のように利害対立がある場合で、たとえば汚水を自由に垂れ流して利潤を上げたい企業とその規制機関の関係はゼロサムゲームだ。

しかし原子力産業は違う。特に福島で事故が起きたあと、事故を起こすと会社がつぶれることは誰でも知っているので、行政の目を盗んで事故を起こすインセンティブはない。こういう場合、規制当局と業者の関係は、両者の利害が一致する協調ゲームになる。

その典型は交通規制だ。車が道路の左側を走るというルールを破って得する人はいないので、必要なのは癒着を防ぐことではなく、ルール違反を取り締まることだ。ルール違反はドライバーにとっても危険なので、当局とドライバーの利害は一致している。

同様に原子力についても、必要なのは癒着を防ぐことではなく、安全性を高めるために規制当局と業者が協力することだ。いま規制委のやっている活断層さがしの穴掘りは、安全性を高めることにまったく寄与しない。新安全基準の遡及適用は違法だ。もちろん必要に応じて(電力会社が同意すれば)バックフィットを行なうことは望ましいが、廃炉にすることをバックフィットとはいわない。

新安全基準の骨子案についても、専門家から批判が相次いだ。その特徴は規制しやすい機材に改正点が集中し、安全システムの改善がおろそかにされていることだ。しかも「悪い業者をたたく」という発想なので、電力会社は「いわれたことだけやってればいいんだろ」という態度になっている。業者をたたけばマスコミは拍手してくれるかもしれないが、安全性はまったく高まらない。

これまでの規制をめぐる論議では、規制機関の独立性ばかり議論されてきたが、最大の問題は独立性ではなく、規制委が情報劣位になっていることだ。彼らが癒着批判を恐れて業者と情報交換をしないため、今回の骨子案には最新の安全技術が反映されていない。業者たたきに暴走する規制委によってむしろ原発は危険になり、また事故が起こる――と多くの専門家が危惧していた。