私は長年、日本はアメリカとなぜ戦争をしたのだろうと考えていました。自分なりに掘り下げて書も読み、さまざまな意見も聞いてきました。結果として直接的な事実関係は理解していますがそこにいたる道筋にどれもしっくり来ませんでした。が、渡部昇一氏の「日本そして日本人」を読んで私なりにストンとおちた気がします。
そこには、東条首相はもともとアメリカとの戦争に勝てるとは思っていなかったものの陸軍出身の首相として陸軍との和を破ることも出来なかったのでアメリカと戦うこともやむなしだったと書かれています。
まず、アメリカとの戦争に勝てる自信がなかったというのは当時の要人、軍人の発言からあちらこちらで感じ取れます。海軍も嶋田、米内、鈴木など弱気筋が多かったのです。ですが、海軍は陸軍に擦り寄ります。なぜならここでも和を大切にしたからです。
戦前の政党政治に基づく二大政党は軍国主義に取って代わりました。きっかけは陸軍の暴走だと断じる論評は多いと思います。2.26事件のようなテロ化した事件もその伏線だったと思います。しかし見方によってはこの流れも迎合という和だったのかもしれません。その最終章が陸軍の東条大将が一本化したものだったともいえるのかもしれません(この理屈の筋道には異論も多いと思いますが、見方のひとつとして捉えてください)。
日本では和は古来より日本の根幹を成すべき部分であると考えられていました。しかし、グローバル化が進み、外国のモノから始まり文化、社会の影響のみならず、日本人の考え方そのものが国際化していきました。その国際化のベースとは狩猟文化が入り込んだといっても良いでしょう。つまり、弱肉強食です(渡部昇一氏は日本の狩猟時代の典型が戦国時代であり豊臣秀吉をその際たるものとし、江戸時代を農耕時代、明治維新を再び狩猟時代としています)。
日本は長年、農耕文化としてムラ社会を作り、長老を敬う和を乱さないバランス感覚を良としてきました。ところが今日、人より一歩先んじる発想はいたるところにあふれています。大企業よりも新興企業のフットワークのよさが時代の流れを先取りするという最近の報道を見ているとまさに狩猟文化にその根があるといっても良いでしょう。それはアメリカの経営学が日本経済にしっかり根付いているのかもしれません。
一方でJALの再生に際して稲盛和夫氏は和を持って制したと思っています。小さなアメーバが大企業レベルにおいても機能するのだということを再び証明しました。
今の日本にはまさに農耕と狩猟の両面が混ざり合い、強く影響し合っていると思います。これは二つの武器を持ち合わせているといっても過言ではありません。それぞれに長短はあります。和も冒頭の例のように物事の本質を見失う結果を招くことすらあるのです。
ですが少なくとも世界の中でこのような両面性を持ち合わせている国はそう多くはありません。我々は実に幸運であるといえます。それ故に我々はバランス感覚を磨きながら両者の良いところをうまく取り合いながら世界の中の日本を作り上げていくことが大事ではないでしょうか?今、日本は大きな転機に差し掛かっています。さまざまな判断をする中で「和と本質の見分け方」を意識することに大きな意味があると思います。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年3月12日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。