先日、私が幹事を務めている私的な勉強会で、與那覇潤氏を招いて『中国化する日本』の合評を行った。1000年の歴史を“蛮勇”をふるって300ページで語った本であるだけに、専門家が細かく見ていけば色々とツッコミ所はある。だが、いちいち揚げ足取りをしても生産的ではないので、個別的な問題には立ち入らず、なるべく本書の全体を議論するよう心がけた合評会であった。
しかし(当日は自粛したものの)日本中世史を専攻する身として、どうしても違和感をぬぐえなかったのが、源平合戦の評価である。與那覇氏は本書の中で、市場競争中心の「グローバリズム」を推進する西国の平氏政権と農業重視の守旧派勢力たる坂東武者が争い、勝利した後者が「反グローバル化政権」たる鎌倉幕府を築いたと説いている(45・46頁)。この辺りの記述が、一時期「第三の開国」と呼ばれたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を意識したものであることは疑いない。すなわち、「中国化」を目指すTPP推進派が平氏に、「再江戸時代化」を望むTPP反対派が源氏に、それぞれ重ね合わされているわけである。
『平家物語』以来の平清盛悪玉論に代わって、“国を開き”中国(宋)との貿易を推進した開明的なグローバリストとして清盛を評価する動きは日本史学界ではかなり前からあって、網野善彦氏の『東と西の語る日本の歴史』(1982年)が特に有名である。この相対的に新しい清盛像は昨年の大河ドラマでも採用され、少しずつ世間に広まっているように感じられる。
ところが近年の研究によれば、平氏滅亡後、日宋貿易はむしろ盛んになっているという。どうして、このような不思議なことが起こるのだろうか。逆説的であるが、平氏が日宋貿易を重視していたことが最大の要因である。もともと中国との貿易は、すべて国家の管理下で行われることが原則であり、中国からやってきた商人は大宰府鴻臚館で商取引を行った。ただし朝廷の衰退に伴い貿易管理体制は形骸化し、鴻臚館も廃絶した。
実は、この貿易管理体制を再強化したのが平氏政権であった。平氏は大宰府を掌握し、港湾を整備し、日宋貿易を推進した。これによって日宋間の交流が活性化したのは事実だが、平氏の目的が日宋貿易の独占にあった点は見逃せない。誰もが自由に船で往来できるわけではなかったのである。
平氏の滅亡後、大宰府の貿易管理体制は消滅する。そして鎌倉幕府は貿易を統制しようとは考えなかったため、かえって民間レベルで交易・交流が活発に行われた。たとえば中国製陶磁器や中国銭(宋銭)、宋から伝わった新しい仏教である禅宗などは、平安時代には博多でしか見られなかった(江戸時代の「長崎の出島」のようなものである)。それが鎌倉時代になると、国家的な規制の消滅によって全国に広がっていったのである。したがって、「中国化」=グローバル化を真に達成したのは、日宋貿易にさほど関心を持たずに放任の姿勢をとった鎌倉幕府のほうだった、と言えよう。
この事実は、TPP論議が喧しい現代日本にも重要な教訓を与えてくれる。池田信夫氏が指摘するように、「国益を守れ!」と主張するTPP反対派のみならず、TPPの旗振り役である経産省ですら政府主導による輸出拡大をもくろんでおり、自由貿易の意義を理解していない。この錯誤は、平清盛という国家資本主義者を「グローバリスト」と勘違いすることと同根の問題である。「民間にできることは民間に」ではないが、「国家が国民の生活を豊かにする」という発想そのものを見直すべき時機がきているのかもしれない。
呉座 勇一
東京大学大学院人文社会系研究科研究員/日本中世史