アメリカ、オバマ大統領のスピーチ原稿を読むと嫌という程「失業」に関係する表現を眼にする事になる。
失業率が下がれば手柄として強くアピールする。一方、改善がなければ現在実行中の施策が如何に素晴らしいかを力説し、近い将来良くなる事を同様強くアピールする。
一方、日本以外の先進国では基本リストラは株式市場で好感され、リストラ計画がリリースされると株価が上昇するケースが殆どである。
企業経営者は自社の業績のみに責任を持ち、そのためにリストラが必要となれば躊躇せず断行する。後の尻拭いは政府の仕事という役割分担である。
一方、日本はどうだろうか?
失業率が4%台と先進国にあっては異例の低さを維持している事もあり、そもそも余りマスコミが取り上げる事もない。
そして、国による解雇規制が厳しく、企業経営者が変に雇用調整をしようものなら監督官庁のみならず、労働組合、マスコミ他の袋叩きにあってしまう。
どうも、日本では失業問題を生じさせない様に頭を痛めるのは企業経営者という役割分担の様である。
高度成長時代であれば、それなりに良質の「繁忙期」が継続するので出来の悪い社員にも一定の業務を割り当てる事が可能であった。日本の社会保障はこの様に政府ではなく個別企業が担当していた訳である。
年功序列、終身雇用を背景に「自助」努力の欠如した社員を企業が面倒をみて来た訳である。「共助」による日本独特のセイフティーネットと理解して良いのではないだろうか?
デフレの時代となっては、家電製造業の「追い出し部屋」が象徴する様に企業の忍耐が限界に来ている訳である。それでも、社会保障維持のために「雇用調整」をさせない。勿論、これでは企業自体が倒れてしまう。
これが、政府主導でファンドを立ち上げ家電製造業から余剰設備を買い取るという名目で実質資本注入を行う背景ではないのか?
流石に、このやり方は最早限界に来ていると思う。政府は他の先進国同様企業に雇用調整を許可し解雇された従業員の救済を自らが主導的に引き受けるべきと思う。
「共助」から「公助」への転換である。
「生活保護」についても多分同じ事が言えると思う。
昨年、人気芸人河本準一氏親族の「生活保護」受給を週刊誌が大きく取り上げ、当時野党であった自民党の女性議員がセンセーショナルに訴求したのは記憶に新しい所である。
批判のポイントは、人気芸人であれば収入が多いはず。であれば、「公助」に救いを求める以前に親族として助けるべきではないか?というものであった。
成程、「公助」よりも「共助」、「共助」よりも「自助」を優先すべしというのは伝統的な自民党の理念であり、判らないでもない。
露骨にいってしまえば、「必要のない人間まで「公」が助ければ、結果、国民の自立心を失わせてモラルハザードを招く」という理屈なのであろう。
しかしながら、「地縁」、「血縁」が失われて行く現在にあっては、「公」が困窮する国民に取っては最後の拠り所というのが世界的な潮流ではないのか?
最後に、全く反対の理念を主張する二つのエントリーを参照して結びとしたい。
一つ目は、最近発表された、石井 孝明氏の生活保護「減らす」という単純な解決策を–「貧しさに安住する心は恥」。
今一つは、昨年発表された、中嶋 よしふみの生活保護はもっと気楽に貰って良いである。
「共助」から「公助」へのパラダイムシフトをどう進めるか?
「公助」の膨張と国民のモラルハザード回避のための「自助努力」への回帰をどう進めるか?
この二つは、来たる参議院選挙の争点になっても良いテーマではないだろうか?
山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役