憲法改正デマ(1)基本的人権を削除しようとしている、だって?

開米 瑞浩

選挙期間中に「自民党が徴兵制導入を示唆!? 」というデマが飛んでいたことは前回書きましたが、憲法がらみで同じく飛んでいたもう一つのデマ、「基本的人権」の話も書いておくことにしましょう。話が長くなるのでシリーズものとして番号を振っておきます。(実はこのシリーズは以前別ブログで書いたものですが、アゴラ向けに再編集して掲載します)

(写真は海上自衛隊のYS-11。記事本文とは関係ありません)


さて、「自民党は憲法改正案で基本的人権を削除しようとしている」という話を比較的やんわりと主張している人物として例えば例えば森永卓郎氏がいます。

“「自民党憲法改正案の本質」森永卓郎│マガジン9”
http://www.magazine9.jp/morinaga/120523/
 私が一番気になったのは、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることだ。
(中略)
 権力者が「公益及び公の秩序を害する」と判断したら、表現の自由が許されなくなってしまうことになる。ファシズムもはなはだしいのだ。
(中略)
 結局、秩序優先、公益優先で、権力者の意向次第で、国民の基本的人権は制約されるというファシズム、極右の世界観が、この憲法草案の基本理念なのだ

これもまた、「そんなアホなこと、あるわけなかろうが」というような話なのですが、この話題が出た昨年の選挙期間中、私のリアル知人の間では徴兵制デマの話題以上に広まっていました。困ったものです。というわけで検証してみましょう。

まずは事実関係を整理します。

日本国憲法改正草案Q&A
http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf

↑これは自民党による公式発表で、現行憲法と自民党の憲法改正草案を対比してどこがどう変わったかがわかるように書かれています。また、どのような考え方でその草案が作られたかがQ&A形式で説明されています。

この資料を元に「自民党憲法改正草案」と「現行憲法」の、人権関係の部分を対比してみました。注目ポイントを赤字にしてあります。

さて、ここまでは、誰でも確認できる「事実」です。自民党自身が発行している文書に書かれていることそのものであって、誰もが「その通りに書かれている」と確認できることです。

問題はそこから先の解釈が分かれるということですね。

私が見たところ、「自民党は憲法から基本的人権を削除しようとしている」と主張している人は次のような解釈をしています。

【解釈1】
第12条の「公共の福祉」という文言を削除し、「公益及び公の秩序」という表現に変更したのは、「権力者の都合によって基本的人権を剥奪できるという体制を作りたいからだ」

・・・この解釈を主張する人々が何を言っているのか、正直言って私には最初のうちさっぱりわからなかったのですが、どうもこういうことらしいです。

「人権」は本来、(A)すべての人間が生まれながらに持っている(認められる)。
しかし、場合によって人権が制限される(認められない)ことがある。
認められない場合(1) = (B)公共の福祉に反する場合
認められない場合(2) = (C)公益及び公の秩序を妨げる場合

という構造のもとで、【解釈1】を主張する人々はどうやら次のように考えているらしいのです。

「(B)公共の福祉」と「(C)公益及び公の秩序」とは別の概念である。
「(C)公益及び公の秩序を妨げる場合」が具体的に何を表すかは、(D)権力者が恣意的に決めることができる

こういうロジックが成り立つならば【解釈1】が説得力を持つわけですが、さて、このロジックは果たして妥当でしょうか。

率直な話、私には(B)と(C)がどう違うのかよくわかりませんが、まあここは追及せず、この両者は違うものである、と仮定しましょう。

その場合でも、(D)が成り立たない限り【解釈1】は成り立ちませんが、そこのところはどうなんでしょうか。

たとえば私が職場から自宅に帰ろうとしたときに、「あなたが自宅に帰ることは公の秩序を妨げる、と首相が認定しましたので帰宅を禁止します」

というケースが起こりうるということでしょうか。

単純に「起こりうるかどうか」という点で言うと、実はこういうケースは現行憲法下でも起こりうるので、これが起こりうることを理由にして憲法改正に反対するのであれば、現行憲法そのものも「不完全である」として反対しなければなりません。

・・・・・・・(続く)