憲法改正デマ(3)憲法論議には憲法学者は頼りにならない

開米 瑞浩

憲法改正デマ問題の3本目です。今回は、「憲法論議をするときには、一部の憲法学者の言うことは当てにならない」という話です。こう聞いて「えっ? どうして?」と思う方が今回の想定読者です。「そうなんだよなあ・・・・」と思う方は多分読まなくても大丈夫です。(表現が誤解を招くという指摘があり、「一部の」という文言を追加しました 03/28 )

普通は病気になったら医者の言うことを聞くでしょうし、車が壊れたら自動車整備士に見てもらいます。自分が知らない世界の話を考えるときは、まずはプロの言うことを当てにするのがあたりまえです。ところが、そのあたりまえの常識が憲法論議については通用しません。

「憲法の話を議論するからには、まずは憲法学者の話を聞こう」

と、本来はそれが一番自然な発想なんですが、実は憲法学者の中には憲法に関してすさまじいトンデモ説を主張している人物が少なからずいます。そのため、日本という国の憲法をどうすべきかという議論をするときに、一部の憲法学者の言うことは当てにならない、というか鵜呑みにしてはいけない、という困った状況が起きているんですね。

具体例を挙げましょう。まずは以下の資料から。

衆憲資第31 号 基本的人権と公共の福祉に関する基礎的資料 平成1 5 年6 月 衆議院憲法調査会事務局
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi031.pdf/$File/shukenshi031.pdf

この資料の中に、要約すると次のような記述があります。

「公共の福祉」に関する現在の通説は「一元的内在制約説」であり、これは「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理である」とする説である。

前回も書いたとおり、この説は普通に考えるなら破綻しています。ところがそれが「通説」だというのはいったいどうしてなのでしょうか。ちなみに自民党憲法改正草案もそこを問題視していて、「公共の福祉には、『公益』という概念が含まれることを明確にしよう」というのが1つの重要なポイントでした。

この「通説」を最初に主張したのは一体誰かというと、そもそもの提唱者は宮沢俊義(1899-1976)という憲法学者です。この人の別な主張にこういうものがあります。

【8月革命説】
1945年8月、ポツダム宣言を受諾したことによって日本では主権の所在が天皇から国民に移行し、法的には一種の「革命」が起きた。その革命によって新たに主権者となった日本国民が制定した憲法が現行の日本国憲法であり、従って現行憲法はアメリカに押しつけられたものではない。

「1945年8月に日本で革命が起きた」・・・という、「ハア?」を30個ぐらい並べたくなるような説を大まじめに主張したのが憲法学者・宮沢俊義です。
その宮沢が提唱したのが「公共の福祉は人権相互の衝突を調整する原理であって、公益という概念ではない」とする「一元的内在制約説」であり、それが憲法学界では「通説」だというわけです。

ポカーン・・・・・・・・・

とするしかありませんね。「8月革命説」というような、普通の市民感覚からはどう考えてもおかしな説を唱える学者が東大法学部教授であり、彼を重鎮として遇し続け、その説を「通説」扱いし続けたのが「憲法学界」だったわけです。「この学界、おかしいんじゃないの?」と思うのが普通でしょう。

なぜそんなことになっているのかを理解する上で非常に興味深い記述がwikipedia にあります。

“このような考え方(8月革命説)のもともとの発想は、政治学者の丸山眞男によるものであり、宮沢が丸山の了承を得て法学的に再構成したものと理解されている。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AA%AC

この話は『丸山眞男集』(別巻)の47頁にも書かれています(2013.3.24 確認済み)、一応の信憑性はあると考えて良さそうです。

ここで出てきた丸山眞男という人物、現在40歳以下の世代にはあまり知られていないと思いますが、簡単に言うと「戦後民主主義思想の展開に指導的役割を果たし、安保闘争を支持した左翼文化人の代表格」です。丸山が影響を受けた「講座派」というのはマルクス主義者の一派で、当時の日本共産党の政策のバックボーンとなったグループでした。

これがいったい何を意味するのか。
ハッキリ言うと「憲法学界は左翼の巣窟であった」ということです。

実際のところ、「憲法学」なんて普通の一般市民は誰も興味を持ちません。そのために、普通の市民感覚で聞けば唖然とするようなおかしな通説がまかり通ってきたというのが実態なのです。

というわけで、憲法論議をするのには一部の憲法学者の言うことは当てになりません。従って、

「憲法学者のえらい先生がこう言っている」
「憲法学界ではこれが通説である」
「司法試験予備校の教科書にはこう書いてある」

といった、「権威」を根拠にした主張は、こと憲法論議に関しては全部無効です。
権威を取っ払った上で、現代日本の国内・国外の諸状況を踏まえて憲法はどうあるべきか、ということをゼロベースで議論するべきです。そしてその議論は憲法学者や法学者だけでなく、一般市民にも理解できるものである必要があります

・・・・・(続く)