先週の国際金融市場は、地中海の小さな島国を巡って揺れ動いた。キプロスで起こった預金封鎖である。ユーロは欧州連合の17カ国に採用されている共通通貨であるが、この中で、キプロスは、エストニアに次いで2番目に小さく、GDPは2兆円もない。ギリシャのGDPが20兆円で神奈川県ぐらいだったので、それよりもさらに10分の1のサイズだ。つまり神奈川県の中のひとつの区よりも小さな国である。なぜこんな小国がユーロにそこまで影響力を持っているのだろうか。このことを考えれば、金融機関が引き起こすシステミック・リスクの深刻な問題、そして、ユーロという共通通貨の構造的な欠陥がよく理解できる。これらは拙著『外資系金融の終わり』で解説したテーマあるが、キプロス問題を通して、再確認しよう。
欧州連合と共通通貨ユーロ(外資系金融の終わり、P.151)
まずは、キプロスで何が起こったのかおさらいしよう。キプロスは、税金が安いタックス・ヘイブンとして、ロシアの富裕層などから資金を集めていた。こうしてキプロスの銀行の預金残高は、GDPの4倍にもなっていたのである。世界の中で見れば、今回問題になったキプロスの銀行はそれほどの規模ではないが、キプロスという国の経済規模よりも大きいのだ。つまり、キプロスは自国だけでは救済できないサイズの銀行を抱えていたのだ。
キプロスの銀行は集めた預金の運用に失敗して破綻の危機にあり、欧州連合が金融支援する必要があった。欧州連合が支援するとは、つまりはドイツの納税者が金を出すということである。キプロスはタックス・ヘイブンであり、税率が高いドイツなどにとっては目障りな存在であった。それでドイツの納税者は、なぜキプロスを救済しなければいけないのだろうか。ギリシャやスペインを救済しなければいけなかった時と全く同じ感情的な問題があるのだ。
結局、欧州連合は、16日にキプロス政府が自国の銀行に預金税を課すことを条件に、キプロスに100億ユーロの金融支援することを電撃発表して、キプロスの預金口座を全て凍結した。凍結している間に、キプロス政府が預金税法案を可決して、約58億ユーロ(たったの7000億円ほど)を負担するはずだったのだが、これが議会で否決されてしまう。預金税というのは、突然、キプロスの銀行口座にある預金を10%~30%ぐらい政府が取り上げる、ということだ。市民の預金没収である。幸いなことに、一度は否決された預金没収法案は、25日には可決される見通しになった。
欧州連合にとっては預金封鎖、没収によって捻出される金額など、雀の涙のような極めて小さなものだが、これは金の問題ではなく、気持ちの問題なのだ。キプロス政府が、こうした欧州連合の要求を飲まなければ、キプロスはユーロ圏からはじき出される第1号になってしまう。欧州連合としても、キプロスの破綻によるシステミック・リスクが、ユーロ圏全体に波及するのは避けたいが、万が一の場合でも、キプロスのような小国は、大きすぎてつぶせない、という心配はギリシャやスペインよりはるかに小さい。だから、ドイツもこのように強気で交渉できるのだ。もちろん、キプロス政府も、ユーロ圏から離脱して、経済が破綻するのは避けたいはずだ。
今回の預金封鎖の狙いは、ユーロ圏で、常に資金を援助する側に回るドイツやオランダ、フィンランドなどが、支援される側の国の市民にも痛みを味あわせることにより、ユーロを維持するために必要な金融支援をすることを政治的に可能にしようとしたことだろう。実際に、26日に、ユーロ圏財務相会合のデイセルブルム議長(オランダ財務相)が、ユーロ圏が合意したこうしたキプロス支援の枠組みについて、他国への支援のひな型になる、とつい口を滑らせてしまった。
さて、こうした金融支援が気持ちの問題なら、金融システムそのものも気持ちの問題だし、そもそも金というもの自体が人間の気持ちによってしか存在し得ないものなのだ。キプロスで預金没収が起こったという事実は、これから欧州連合が支援する場合は、支援される国の預金が没収される可能性を暗示してしまう。だとしたら、イタリアやスペインの国民は、自国の銀行を信用できるだろうか。取り付け騒ぎは、こうした人々の心配する気持ちが、一斉に預金引き出しという行動につながり、心配が自己実現する形で、経営上何の問題もない銀行を本当に潰してしまう。そして、システミック・リスクにより、ひとつの銀行がつぶれれば、それは瞬く間に他の銀行に連鎖して行く。こうしてキプロスという小さな国の問題が、人々の気持ちを変え、より大きな問題になってしまう可能性がある。
ユーロという共通通貨は、こうして一度でも預金没収をしたという既成事実を作り、そして加盟国が状況次第では離脱してしまう可能性があることを証明してしまった。通貨というのは、他の国がそれを価値があると思って受け取ってくれるから価値があるという自己循環論法、つまり何も証明できな論理でしか価値が説明できないのだ。こうしてユーロという通貨の価値が、さらに揺らいで行くことになった。
共通通貨では、各国の経済環境の違いが為替レートで調整されないのだから、ドイツやオランダ、フィンランドなどの北の経済の強い国が、こうした南の弱い国に支援し続けなければいけないのは構造的に決して避けられないことなのである。実際に、アメリカでは各州の財政格差は連邦政府によってある程度は是正されるし、日本でも、東京などの都市部と、その他の都道府県との財政格差は、税の再分配により均衡化される。しかし、ユーロ圏は、ドルや円のように地域で同じ通貨を使うのだが、依然として各国に主権があるため、こうした財政の格差を調整することが政治的に極めて困難なのである。そして、こうした構造的欠陥が是正される見通しはなく、これからもずっと、ひとつの国の銀行で金融危機が起こるたびに、ユーロ圏全体の問題として、綱渡りのようなことをしていかないといけないのだ。
これからも、ユーロ危機は決して終わらない。