GEPR編集部
東日本大震災、福島原発事故で、困難に直面している方への心からのお見舞い、また現地で復興活動にかかわる方々への敬意と感謝を申し上げたい。
原発事故に直面した福島県の復興は急務だ。しかし同県の浜通り地区でそれが進まない原因の一つは、拡散した放射線物質の除染に手間どっていることにある。「被曝水準を年1ミリシーベルト(mSv)にする」という、即座の実現が不可能な目標を、国が掲げたためだ。これは時間と金のムダを生み、そして避難者に「帰れない」という心理的なストレスを与えている。
これは民主党政権の残した負の遺産の一つ。費用と効果、そして必要な時間を冷静に検証した上で、「即座に1mSvまで放射線量を減らす」という方針を早急に見直すべきだ。(写真は除染の状況、環境省ホームページより)
実現不可能な除染の現状–経費28兆円の試算も
図表1 除染の範囲
(出典・環境省資料。円で囲まれたのは、除染特別地域として、国が主体的に除染を行う原発近郊の11市町村。色付きは、自治体で計画を策定、実施をした地域。)
「除染の目標達成に苦慮している。できる数値を示してほしい」。2月に福島県の佐藤雄平知事は、国との意見交換会で除染の目標の非現実性を訴えた。この困惑をもたらしたのは、遅々として進まない除染の現実だ。
図表2
環境省は3月、除染の進捗状況について福島の11町村の除染特別地域の除染状況を公表した。この地域は事故を起こした福島第一原発の近郊で、国の計画の下で除染を行う。2月時点で実施は田村市など4町村にとどまり、他は計画策定さえできていない(図表2)。2年前には除染を13年度末に終える計画だったが、その達成は難しいだろう。(出典・朝日新聞3月9日記事)
「除染」とは、環境省によれば、福島原発事故問題の場合で言うと放出された放射性物質を取り除くことだ。(環境省除染情報サイト)具体的な取り組みでは、放射性物質が拡散した表土や、樹木などを集め捨てる。個人宅では家の屋根瓦や雨どい、窓を高圧放水などで流す。
こうした除染活動に、環境省は12年度で3712億円、13年度(概算要求段階)で4978億円の予算を支出する。この巨額の税支出について、国はその実現可能性、政策効果、またいつ除染が終わるのか、事業の総額などの論点を明確にしていない。さらに除染によって出た大量の汚染物質は、福島県内に設置が検討されている中間貯蔵施設に保管される予定だ。しかしその処理も現地の反対で、調整が難航している。
原則として除染費用は事故を起こした東電、特別地域では国が負担することになる。しかし東電は経営破綻状態にある以上、東電への請求は税金が肩代わりする。
福島県飯館村の除染計画では、1mSvまでの除染で総費用3224億円が必要と推計している。反原発活動組織である原子力資料情報室は、これを根拠に汚染物質の拡散場所を2万平方キロメートル(飯館村は約230平方キロ、福島県全域で約1万3000平方キロ)とした上で、除染だけで28兆円かかるとした。非現実的な金額だが、国が「行わない」範囲を明確に線引きしなければ、東電負担分も含めて、この支出が現実化しかねない状況だ。
効果はあるのか?– 健康被害の可能性は極小
ところが除染の効果はあるのだろうか。世界保健機関(WHO)は、現時点で除染を考慮しなくても、福島では健康被害の増加の可能性は少ないとしている。(GEPR記事「WHO、福島原発事故の健康被害を予想せず」)福島、東日本で原発事故から2年が経過しても、事故による健康被害は確認されていない。
一方で、約16万人の避難者の帰還の遅れによる多くの問題が生じている。原発事故に限定されないが、震災関連死は12年9月末時点で2303人にもなる。内訳は「避難所における生活の肉体的・精神的疲労」約3割 、「避難所への移動中の疲労」約2割 、「病院の機能停止による初期治療の遅れ」約2割などの健康被害が起きた。(GEPR資料、水野義之京都女子大学教授「原発事故の現在の状況~避難者、健康、ICRP」 )
心理的負担による避難者の健康被害は12年の全米原子力学会など、海外のエネルギー関係者から「適切ではない」という批判が出た。(GEPR記事「海外の論調から「放射能より避難が死をもたらす」–福島原発事故で・カナダ紙」)
「被災者が健康な生活を送る」ことが、除染の目的であるはずだ。ところが現状では、除染の遂行そのものが目的化して、本来の目的を達成させない奇妙な状況を産んでいる。2年で9000億円も支出される税金は、福島のためにもっと有効な使い方があったはずだ。
国は基準を明確化せず–民主党政権の悪しき政治主導
それでは、この基準はどのように決まったのだろうか。民間団体の国際放射線防護委員会(ICRP)は各国に、放射線の安全基準を提言している。その中のICRP勧告111号(GEPRによる解説)で、原子力災害では、1mSvから20mSvを目標に被曝対策を行うべきだと提案した。
これは20mSvを被曝すると健康被害が起こるという意味ではなく、放射線から身を守るための目標値だ。また基準は勧告であって、どのように下げて行くかは、それぞれの地域住民の参加の中で決めるべきとした。国もこの勧告を採用して、「20mSvを目標にして、長期的に1mSvまで下げる」と11年秋時点で目標を定めた。内閣府「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」など)
ところが原発事故後に、放射能を巡って一部の人によるデマが流通。また反原発を主張する人々が、福島、そして各地で、放射能の被害を強調した。原発の賛否と放射能のリスク評価はまったく別の話である。それなのに、恐怖を煽る形でこれらを意図的に混同させた。不安が広がり、社会混乱が起こってしまう。声高な一部の主張を政府は受け止めて、除染基準を含め、原子力と復興政策は混乱した。
現地の市町村は「1mSvでの除染」を主張。政府は線引きを放棄し、なし崩し的に除染が12年から始まった。そして当時の民主党政権で環境大臣を務めた細野豪志環境相が繰り替し強調したことで、「1mSv」は除染の事実上の目標値になった。
いかにも日本的な政策だが、この決定は行政通達、法律などで明文化されず、「誰が決めかた分からない」無責任な状況になっている。
読売新聞は「帰還を阻む1ミリ・シーベルト」という3月3日の記事で、細野氏がこの目標を事実上設定したことを批判。細野氏はこれに反応した。「当時、環境大臣だった私が1ミリ・シーベルトという目標を独断で決めたかのように書かれています」「1ミリ・シーベルトという除染の目標は、健康の基準ではないこと、帰還の基準でもないことは、私自身が再三、指摘していました」「福島の要請によるものです」と主張した。(参照・細野氏ブログ3月4日記事「ソーシャルメディアの可能性」 )
ところが、環境省の会見記録を読むと、細野氏はこの基準を強調している。(細野大臣記者会見議事録)
「1ミリから5ミリについてもやる」(12年9月30日)
「元々、1ミリシーベルトを目標とするというところは、一貫をしてますので、それに向けて、できるだけ一歩一歩着実に進んでいくという形で対応したいと思っております」。(同10月4日)
ここまで明言した以上、「1mSv」の決断の責任は、細野氏と当時の政権与党だった民主党が引き受けなければならないだろう。民主党政権の政治家は手間のかかる被災者との対話ではなく、限度を設けない除染を行い、国に負担を負わせるという安易な道を選択した。
しかし12年末に政権を奪還した自民党の動きは鈍い。担当大臣になった石原伸晃氏は、1ミリシーベルト問題の言及をしていない。政治的な反発を避けようとしているのだろう。
福島県の住民と話すごとに、除染をめぐる疑問を聞く。「全部やれというのは無理」「除染を請け負う建築業者のみが儲けている」「なぜ復興や帰還の方を政策の中心にしないのか」。
ある福島の公務員は次のように述べた。「いろいろな意見がある。住民や自治体は現時点で金銭的な負担はない。そして除染で現地の一部の建設業者にお金は落ちる。このために、おかしいと思いながら、是正しようという声が、福島では強くならない」。この除染の姿は、被災者の方に役立っているとは言い難い。
おかしな政策の是正で復興を進めよう
このような現状を整理すると、除染はかなりおかしな状況に陥っている。
1・除染で無限に税金が支出されるのに、その効果が見えない。13年度までに約9000億円の巨額の税支出には、それに見合う政策効果はない。
2・被曝量が1mSvミリシーベルトとなることで、除染の手間とコストが増えて長期化して、福島の避難者が帰れない。
こうした現状がある。除染という「手段」に固執して、社会の復興や被災者の生活の再建という「目的」が実現されていない現状は明らかにおかしい。
そのために、次の政策転換が必要だ。
1・特別復興地域での、国が除染計画の目標を明確にすること。またそれ以外の地域でも、ムダな除染を避けるために、公金支援の線引きをすること。ICRP基準を参考に、当面の被曝量を「20mSv未満」と設定し、「長期的に1mSvを目指す」という当初の政策の方向に目標を設定、明確化すべきだ。
2・除染を森林などを含め無制限に行うのではなく、居住地、道路など生活環境に限定をすること。それには現地の意見を聞くこと。これによってコスト減と、早急な達成が可能になる。
3・放射能のリスクに対する啓蒙活動を行い、除染の合意を地域、市町村で積み上げること。
こうした方向に政策の舵を切るべきだ。
筆者の個人的意見では、現状は除染などしなくても、原発近郊以外では普通に暮らしても健康被害は起きないと考えており、除染は必要ないと思う。しかし世論の納得と安心、そして安全性を重視して、仕方ないことだが、除染はしてもいいかもしれない。ただし、その範囲は費用の観点から限定的であるべきだ。
そして除染は国だけの問題ではない。私たち一人ひとりがしなければならないことがある。
1・福島県の住民の方の意思決定、復興活動を情報の面で支えること。デマの流布や、自分の政治主張の押しつけなどの干渉は慎み、正確な情報に基づく意思決定を静かに行える環境を整えること。これは他の放射線物質の汚染地域にも当てはまる。
2・除染での税金のムダな使われ方に、批判を向けること。
こうした取り組みで、原発事故によって今でも続く混乱を、収束に向かわせたい。地域の繁栄は、人々がそこに集い、生活を営まない限りありえない。除染をめぐる混乱は、福島の再生を妨げている。科学的な知見、実現可能性に基づく冷静な議論を始め、現状を変えるときだ。
(石井孝明 アゴラ研究所フェロー 経済・環境ジャーナリスト)
参考文献(本文言及以外)
「放射性物質の除染と汚染廃棄物処理の課題–福島第一原発事故とその影響・対策」国立国会図書館調査リポート743 2012年3月