1 天引き徴収の理由
大学時代に社会保障法の講義を受けた。年金保険の話に及んで、「なぜ、保険料の天引き徴収を制度に取り込んだか」について、恩師は国家のパターナリズム、すなわち家父長主義をその理由の一つとして挙げた。
定年退職後に年金が必要なこと、そのためには保険料を納付しなければならないことは、皆、分かっている。では、全額給料を渡した後で、各人が保険料を総務課に納めに来るかというとそうではない。少なからぬ者は、借金返済や飲み屋のツケに給料を全部、使い切ってしまう、あるいは、一度もらった給料から保険料を払うことが、なんとなく惜しくなって払わない者もいる。
人間は意思が弱く、合理的には行動しない。だから、国家は、父親が子供を守るかのように、国民のためを思って、有無を言わせず保険料を徴収し、将来の危機に備えてあげるというものである。
人間は意思が弱いということは、ほとんどの人が否定しない真実であろう。皆の意思が強固であれば、ダイエット本や、勉強法の指南本は売れない。私たちの意思が弱いことを前提に、多くの商売が成り立っている。
2 家父長主義の射程範囲
社会保険の保険料徴収にみられるこの家父長主義は、全国民におよばない。周知のとおり、自営業者は自ら役所に足を運んで保険料を払う。彼らの収入に対して天引き徴収権を持つ者がいないのだからしょうがない。違う視点から見るならば、社長さんは、目端が利いてしっかりしているから、父親の保護は必要ないともいえる。
年金制度が作られた当初、パターナリズムが及ばない自営業者と、国家が父親として守る正規従業員が2大被保険者であった。ところが、この十数年来、本当であれば、もっとも親のような庇護を必要とする者たちが家父長主義の及ばないところにおかれている。いわゆる非正規労働者たちである。
現在、パート、アルバイトなど非正規労働者が被用者保険に加入するためには、つまり、天引きされる類の社会保険に加入するには、彼らが正規労働者の労働時間の4分の3以上、働くことが条件になっている。それゆえ、社会保険料負担を嫌う使用者は短時間の労働シフトを組んでいる。
それでなくても少ない給料から、進んで国民年金の保険料を納付しようというインセンティブは生じにくい。おのずと、保険料未納となり、これが世にいう「国民年金の空洞化」である。
3 働き方は自己責任
非正規で働くことを選んでいる、あるいは非正規労働に就くのは本人の能力の帰結であるという意見がある。非正規職にあることを自己責任の問題として理解する立場である。他方で、非正規労働者として働くしか選択肢がない、自己責任の次元で語られるべきではないとする見解もある。
前者は、戦前の貧困観、すなわち惰民主義、貧困であるのは本人が怠惰で無能だからであるという思想を思い出させる。この考えは、戦中、戦後の一億総飢餓状態を前に、貧困は本人の力の及ばない大きな作用によっても起こりうると修正され、今日の生活保護法は惰民主義に、当然、立脚していない。
いつの頃からか、正社員となって、会社に人生を捧げるスタイルがナンセンスであり、自由気ままに働くことも、ありうる生き方として、時に賞賛されてきた。この風潮がとりわけ若者に非正規職を就くことのためらいを払しょくさせ、企業は安い労働力を得ることに成功している。しかし、その副作用は大きい。なにより、利にさとい商売人でないにもかかわらず、将来は自分で備えろと、国家からの家父長的な保護を得られない立場におかれた状態は、深刻な副作用である。
まとめにかえて
欧米諸国の社会保険加入要件は日本より緩やかで、短時間労働のパート、アルバイトであっても加入が認められている、換言すれば、強制加入の対象となっており、保険料が天引きされている。人を雇い、事業運営をする以上、社会保険負担など、人件費のコストを負うことは不可避であると一般には考えられ、それが履行されている(もちろん、そうではない企業も存在するが)。そして、これらの国々では、日本よりも出生率は高い。
パターナリズムは、しばしば否定的なニュアンスで用いられる。しかし、社会保険の加入要件や保険料納付方式に関しては、国家は働く者を父親のように保護する姿勢を貫いてほしい。
片桐 由喜
小樽商科大学商学部 教授
編集部より:この記事は「先見創意の会」2012年3月26日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。
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