ユーザーの「クラウドソーシング」の力で10年かけて開発されたゲーム

新 清士

Charie Cleveland氏(Unknown Worlds Entertainment)が、とても苦労しながらゲームを作り続けてきたことを、私自身よく知っている。2002年から始まったゲーム開発プロジェクト「Natural Selection」を商品化するためプロセスは、何度も危機を迎えた。しかし、この苦労の10年間に世界中のファンのサポートによって、ついにゲームを完成させ、昨年10月に「Natural Selection 2」としてゲームはリリースされた。何度も資金不足に見回れたが、ユーザーたちが100万ドル以上の資金を提供し、様々な開発の役割を引き受けることで、わずか4人の開発会社では決してできないことを実現したのだ。今のところ、ネット流通を通じた販売は、30万ダウンロード、500万ドルの売り上げを出している。

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米サンフランシスコで、Game Developes Conference(GDC、ゲーム開発者会議)が継続中だ。その講演の一つに10年越しで、やっとゲームの商品化にたどり着いたCleveland氏の印象深いこの講演を紹介したい。

■アマチュアのゲーム開発者が作り上げた新しいゲーム


02年に、「Natural Selection」というModのゲームがリリースされた。ModとはModify(改造する、改変する)の略だ。90年代末から、北米のパソコン向けゲームで一般的になったゲーム会社が自社のゲームの開発環境をユーザーに提供し、自由に改造することを認める戦略だ。ゲーム会社にとっては、追加コンテンツをユーザーが勝手に開発してくれるため、ゲームの寿命を長くできるメリットがある。また、作られたゲームの中には、新しいイノベーションが生まれることがある。「Natural Selection」はアマチュアだったCleveland氏が作ったもので、まさにそうした新しい分野を切り開いたゲームだった。

このゲームは、一人称型シューティングゲーム(FPS)による宇宙海軍と、自分たちを繁殖させることで人間たちを追い詰めるエイリアンとに分かれて戦う対戦型オンラインゲームだ。エイリアンたちは拠点を成長させて強くなっていくので、人間はその成長前に拠点をつぶさなければならない。新しいスタイルのゲームとして高い評価を得て、熱狂的なファンを生み出した。こういう経緯もあり、04年頃から、Cleveland氏は商品化の可能性を模索し始めた。

ところが当時は、大きな壁があった。ゲーム会社は自由にゲームを改造することは認めてくれるが、無料での利用に限っていた。開発したゲームを販売するにはゲームを動作させるための「ゲームエンジン」という基礎環境が必要で、その使用ライセンス料が、10万ドル以上するのが当時の相場だった。単なるアマチュアユーザーに用意できる資金ではない。

■未完成のゲームの「予告編」にユーザーから100万ドルが集まった

今でこそ、「ゲームエンジン」はコモディティ化して、1500ドル程度で手に入るが、当時はそうした安価な環境はなく、商品化するには、大手企業に交渉してパッケージゲームとして発売してもらうしか方法がなかった。しかし、ゲームが「プレイステーション3」など、ハードウェアの表現能力が高まる時代でもあったために、単にネットワーク対戦機能を持つだけのゲームに、開発費を出そうという企業は現れなかった。

続編を開発する可能性を模索したCleveland氏は、ファンから募金を募った。一口20ドル。集まった資金は、わずか8000ドルだった。しかし、08年にはサンフランシスコに自己資金で、小さなオフィスを借り、4人のスタッフで、開発を続けた。もちろん、カツカツの生活だ。また、ゲームエンジンは自分たちで作るというさらに苦難の道を選ぶことになった。

現在であれば、一般的になったユーザーから投資資金を集める「クラウドファンディング」を利用していたことだろう。特にアメリカでは、この3年あまりで、特にゲームではKickstarterが知られるようになり、高額の投資資金を集めるケースも増えている。ただ、当時はそうした仕組みもなかった。

常につきまとう資金不足の中、ユーザーから、再度、資金支援をしてもらうことを考えた。09年に「2」の予告編を作成しYouTubeに発表し、予約販売を行うことにしたのだ。驚くべきことにまったく完成していないのに、100万ドルの資金が集まった。その代わり、ユーザーにはゲームのオリジナルマップを製作できる開発環境を提供し、部分的にユーザーがゲームのデータを触れるようにした。私が以前、取材に行ったときはその頃だ。まだ、ゲームの完成がまったく見えない中で、Cleveland氏は「ファンのために完成させる」と述べていた姿を強く覚えている。

■次々に役割を引き受けてくれるユーザーが現れた

ところが、それから、おもしろいことが起きた。一人のユーザーが、自分たちが作っていたゲーム用のマップよりも、はるかに豪華で洗練されたマップを発表したのだ。完成していないゲームで遊ぶことができないのに関わらずだ。さらに、核となるゲームシステム以外のプログラミング環境も公開すると、オーストラリアのプログラマが、不足している機能をどんどん追加してくれた。スウェーデンのプログラマも、ゲームがスムーズに動くように、プログラムの最適化の作業を手伝ってくれた。

また、熱狂的なファンの一人は、毎日、ゲームの予告編やそのパロディムービーをYouTubeにアップし続けて、その数は300本以上に及んだ。ユーザーが勝手にプロモーションを担当してくれていたのだ(現在は広報担当して雇ったそうだ)。

また、ゲーム開発も後半に向かうと、プログラムのバグをチェックしたりするQA(品質管理)が必要になってくる。この作業は非常に大変なのだが、これまた担当するユーザーが登場した。何十人ものゲームのバグチェックをするユーザーを集め、そこからバグレポートをまとめる大変な仕事だ。そのユーザーは、1日3時間は費やしてその作業をやったという。

出展したゲームの展示会では、ユーザーがデモブースの設営を手伝い、公式の会社のネット掲示板では司会役をやってくれるユーザーがネットコミュニティを維持した。最後には、このゲームのファンであるという中国のゲーム会社の経営者がエンジェルとなり100万ドルの資金が提供され、終盤の資金の苦労から解放された。

■ゲームを成功に導いた「Open Development」

ついにゲームはついに発売を迎えた。彼は講演の中で、ファンへの感謝を繰り返し述べた。

Cleveland氏は、自分たちがゲームを完成させることができた要因を「Open Development」にあるとした。ユーザーに、積極的に情報を提供し、世界中のユーザーとともにゲームを作り上げたことが、結果的に小さな開発チームでありながら、比較的豪華なネットワーク対戦ゲームとして成功できたと言えるだろう。ユーザーが積極的に関わる形の「クラウドソーシング」だ。彼は、何度も絶望的な気持ちを味わったことだろう。しかし、多くの人たちに助けられることで、10年越しでやっと商品化を実現したゲームの開発物語は、感銘を受けるものだった。

新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT)、作家 @kiyoshi_shin
メルマガ週刊アゴラにて「ゲーム産業の興亡」を連載中