なぜ日本で弁護士が必要とされていないのか --- 岡本 裕明

アゴラ

「日本に国際化の波が訪れるが、国民一人当たりの弁護士数はアメリカの20分の1にも満たない現状を鑑み、年間3000人の弁護士を生み出そう」と計画されたのは2001年。2002年には弁護士は18838名だったのが2012年には32088名と実に70%も増えているのですが、10年の増加数は13250人ですから1年平均でみると年間3000人の目標には半分も達していないということになります。

今般、この「弁護士年間3000人増計画」が撤廃される公算が出てきました。今日はこれについて考えてみましょう。


私がカナダ バンクーバーで借りている事務所の賃貸借契約書は小さな字でざっと50ページ。よくこれだけ書くことがあるな、というぐらい事細かにあらゆるケースについて書かれています。といいながら私が自分のテナントとの契約書を作成する際でも30ページは十分にあります。弁護士事務所では用途に応じた雛形があり、それをケースごとにうまくはめていく場合もあればゼロから作成する場合もあります。

事業をしていれば必ず揉め事はあるものです。そして海外の揉め事とは弁護士を通じて解決を図り、だめならば訴訟に発展していくということも多いのです。訴訟となればカナダの場合、法廷弁護士という別のクラスの弁護士がやってきてその対応に当たることになります。この法廷弁護士は費用が一般弁護士より高いのが相場。私など弱小企業は弁護士費用が訴訟金額より高くつくこともあるので相手弁護士に作業をさせてコスト削減を図るという苦肉の策で乗り切ることもしばしばです。

日本で離婚といえば緑色のあの用紙にはんこをついて役所に出す、というのがイメージですが、こちらでは資産の分割やら養育費の件やらで非常に面倒でかつ、感情的になるやっかいな問題です。そこでファミリーローの弁護士なるものがその間に入り、書類を作り、二人の間の感情を除いた部分の関係を文面にし、拘束力を持たせます。

海外において弁護士が活躍する理由は基本的に相手を信用しないという前提から入っています。通常のビジネスでも相手が約束を破ればどういう手段に出るかがちょっとした書類にも書かれていますし、重要なことはわかりやすく周知させる努力義務すら負っているのです。そして、弁護士は弁護士としかやり取りしないのが原則論。つまり、双方の当事者は感情的になっていてもそれぞれの弁護士は論理的かつ冷静にその交渉を進め、顧客に納得させるという役割も果たします。

かたや日本。基本的に契約書は薄い、というよりほとんど何も書いてありません。忠義、忠誠の精神ですから性善説なのでしょうか? 「問題が生じた時は双方、解決の努力をする」の一文ですべてをまとめてしまっているのです。これでは日本に弁護士は必要ありません。つまり、2001年に年3000人の弁護士を養成しようとしたのは日本が国際的になり外国企業とのやり取り、外国人労働者などを念頭に置いたものだろうと思います。しかし、日本企業の子会社が東南アジアなど諸外国にあれば管轄する法律はそれぞれの国であることが多いはずですので日本の弁護士の出番はさほど多くないことになります。

これではどう考えても日本で弁護士が余ってしまうのです。一部の優秀な弁護士事務所には仕事が殺到するでしょうけど32000人いる弁護士さんで安定的に十分な報酬を確保している人はさほど多くはないのではないでしょうか? 企業内の法務部でも弁護士を抱えている会社は少ないでしょう。多くは大学の法務部卒業者というだけで法務知識があるとし、弁護士対応をしているのはないかと思います。

つまり、日本は企業も個人も弁護士にお金をかけたくないというマインドは強いと思います。むしろ弁護士を使うことは「おおごと」ということなのでしょう。私も弁護士は使いたくありません。時間50000円のサービス料は高すぎるし、当の顧問弁護士が「下手な揉め事は弁護士を太らせるだけ」と言い放っているのですから。

弁護士の質も考えれば今回の3000人計画の撤廃はやむをえないと思いますが、くれぐれも日本の契約書は海外のスタンダードではありえないということは頭に入れていただいた方が将来海外進出を図る際にはためになるかと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年3月28日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。