昨夜のアゴラチャンネルはすごい盛り上がりだった。「世界と闘える人材を育てるために偏差値や新卒一括採用を廃止すべきだ」という茂木さんと「99%の学生にとってはもっと実用的な職業教育が必要だ」という常見さんは、日本の大学教育の二つの欠陥を指摘していたが、現代の日本で教育改革がもっとも重要な問題だという点は一致していた。
私は、彼らの指摘は一つの問題の二つの側面だと思う。偏差値を基準にした新卒一括採用は、個人の能力や創造性をみているのではなく、受験勉強という無意味な仕事をいわれた通りこなす忍耐力や実務能力をみているのだ。明治以来の日本で何より重要なのは、西洋文明という手本を忠実にまねることだった。帝国大学は官吏養成所であり、その後の日本の大学も「追いつき型近代化」のための途上国モデルなのだ。
この意味では、規律=訓練によって質の高い労働者を生み出した日本の初等中等教育は、世界でもっとも大きな成功を収めた途上国モデルだった。それが日本企業の競争力の源泉だったが、こういう能力はコモディタイズしやすいので、もはや国際競争力の源泉にならない。
大学(文科系)に至っては、まったく時間の無駄である。かなり有名な大学でも、300人の大教室に3人しか学生がいないというような授業はざらにある。それでも教師は何も努力しない。准教授になったら、自動的にテニュア(終身雇用権)を得られるからだ。アメリカの大学ではテニュアをもつ教授・准教授は4割しかいないので、再任のために激しい競争があるが、日本では決められた授業以外の仕事をするインセンティブがない。
こういう状況を是正する方法は、競争原理しかない。政府は就職についての「倫理憲章」を改正して就職活動を4年生の4月からにするよう財界に要請したが、これは逆である。有名無実の倫理憲章なんか廃止して、ユニクロのように1年生の4月2日に内定を出せばいいのだ。そうすれば大学は4年間来てもらえるように、必死で教育内容を改革するだろう。
日本の私立大学の半分は定員割れである。普通の産業なら続々と倒産するはずだが、その経営が成り立っているのは私学助成のおかげだ。国立大学法人と合わせると毎年1兆4800億円の補助金が、大学の実績とは無関係に学生の数に比例して一律に支給されている。こんな農業補助金みたいな制度は廃止し、教育予算は奨学金として学生に(成績に応じて)支給すべきだ。
日本経済に足りないのは、カネではなくヒトである。資金はジャブジャブに余っているが、労働者が古い企業に閉じ込められ、新卒以外の多様な人材を排除しているから、経済が活性化しないのだ。この意味で茂木さんは正しいが、こういう奇妙な採用慣行は日本経済の構造的バイアスの結果であって原因ではない。
教育問題は、文部科学省にまかせるには重要すぎる。安倍政権の教育再生実行会議は道徳教育などに力を入れているが、問題はそんな精神論ではなく、途上国モデルを卒業して世界に通用する人材を育てる教育システムを設計することだ。